真柄 頴一
スペインにて。
サンティアゴ巡礼は自分に大きな影響を与えた。能力的に巡礼はもう無理だが、訪れた印象深い小さな町や村での思い出は、現在ある自分の心の大きな支えだ。
小さな困難や不当な扱いもあったが、旅の些細な思い出でしかない。心に残っている一つは、早春の雨の中を歩き、疲れ果てて着いた宿が満員で、もう一軒しかない宿も同様だったこと。近くのバルで宿泊を乞うても断られて当然だ。スペインではどの村にもある小さな、一年中開放されている教会の暗い土間での野宿も覚悟したがバルの主が、二軒目の宿に一つ二つの空きがあるかもと教え、幸運にも一ベッドを与えられた。安堵した。
一人旅が好きだ。自由だ。言語は何とかなる。分からずとも沈黙では駄目だ。その理屈で切符売り場で分からぬと告げると“Next!”の語が返り、再度列に並ぶことになる。とても辛い。それを買う時、要旨を紙に書いて窓口で示せばスムーズだと今更気付いた。その切符にもスペイン人はスマホを用いる。バスの乗車時、運転手の持つ機器にそれをかざす。でも、切符も無いこともない。心許無い様な一人旅の老異邦人が母国で発行された書類を提示し手渡すところを見た。
生涯パソコンなしで生活出来る。手持ちのそれはワード機能だけを用い、スマホは受話だけだ。稀に電話もするが、その他の機能は扱いを知らない。
西洋では、ロバが旅に出ても馬になって帰ることはないという諺があるそうだ。スペイン語のロバは愚か者、ばかと辞書にある。何と可哀想な、と思う。
一人旅から帰った前後ではアホな自分でも少しは変化を感じる。必ず望ましい変化があると断じたスペイン人も居る。
自分は驢馬ではなかったのかも知れない。
(令和6年4月号)