伊藤 久彰
石塚敏朗先生が昨年10月に突然亡くなられました。その追悼文は新潟大学学士会報に投稿致しました。私が石塚先生に初めてお会いしたのは、私が新潟大学医学部大学院生の時でした。それは私がコンゴーロートを使った網内系の検査を習いに外科学教室に行った時に教えて下さったのが石塚先生でした。それから時を経て私が開業して、ある日の医師会の会合で、石塚先生に再会し「やあ、コンゴーロートの」となつかしくお話ししました。その後、石塚先生は人望があり、旧新津市医師会長から三市中蒲東蒲医師会長になられました。そして私が準看護学院産婦人科の講義を担当した縁で、私も医師会の仕事を頼まれるようになり、石塚先生との繋がりが深まりました。そして、何年間か楽しく石塚先生とお付き合いをさせていただきました。やがて、新津市も新潟市に合併し、石塚先生も私も医師会の仕事から離れましたが、石塚先生とは、細々とお付き合いを続けさせていただきました。その頃から石塚先生は腎臓の透析をされるようになりました。そして体力も弱くなられ転倒されることもあったようです。そんな日々の中、昨年の9月頃大腸がんを発症されました。そして同年9月26日に私にお電話があり、「手術のために、これから入院します。」とのことでした。現在は二人に一人が癌になると言われていますし先生も90歳を過ぎておられますので、「お元気で、行ってらっしゃい」とお返事をしました。その後の経過を心配していましたが、翌10月13日に知人から電話があり、石塚先生がお亡くなりになった、とのことでした。これにはびっくりしました。後からお聞きしますと、石塚先生は手術のために検査をされてその時に心筋梗塞が見つかり手術されることなく亡くなられたのだそうです。これには驚きと寂しさを感じました。石塚先生にはこれまでのお付き合いを感謝しご冥福をお祈り致します。
(令和6年4月号)