関根 理
2月の半ばというのに“陽春到来”を思わせるような快晴の日が続いた。その1日、つい釣られたのか、普段は3千歩くらいのウォーキングを倍以上歩いてしまった。青い空、穏やかな海に誘われたのだ。帰りはさすがに石に腰かけたり、手すりにつかまって歩いたりしたが、上の道路へ昇る60段程の石段の手前で崩れ落ちてしまった。意識はあり、手足は動くのだが起き上がれない。近くを歩いていた数人の若い人達が起こしてくれた。口は利けるし、会話はできるのだが、頭と顔から出血し、腰が抜けたままなので“救急車を呼ぼう”ということになった。携帯で家内を呼び、救急車と同じ頃現場に着いた。援けてくれた人達にお礼を言いつつ、わが故郷というべき信楽園病院へ運んでもらった。
思えば昨年夏の猛暑の中、いささか無理を重ねなければならぬ用が続いて、コロナ罹患し、西新潟中央病院へ10日程入院したことがあった。その時もつくづく高令者の無理はよくないと肝に銘じたはずだった。今回は外傷はとも角として頭蓋内は異常なしということで、入院せずに帰宅できた。
ここ3年程、何ということなしに路上で転倒することがある。ひどく疲れたり、体調が悪いというわけでもないのに、突然崩れ落ちたり、横倒しになったりするのである。意識はあるし、殆ど怪我もしない。低血圧でも低血糖でもない。それこそ「年」のなせる業であろうか。丁度1年前(昨年2月)、雪解け道で転倒して頭を打った。このときも救急車のお世話になって信楽園病院へ行き、異常なしで帰ってきたことがあった。恥ずかしながら2年の間に3回救急車のお世話になったことになる。運動は少しはしているつもりだが、他人様に言っている“年を考えなさいよ”はわが身に返さねばならぬようだ。
(令和6年4月号)