佐藤 舜也
医師会報に執筆する理由などは考えたこともなかった。強いて言えばコロナ以来全ての会合がなくなって、仲間の間でも生きているのか、死んだのかも分からないという状態が続いているのに反発して、まだ生きている証拠を書いているようなものであった。医師会員の間のわずかな人数で読まれているようなものだし、いつも書いている仲間の文が見えなくなると、どうしたのかと思うくらいであった。ところがそうでないこともあるのだと最近認識したので、医師会報に載せてもらえることは有難いことだと思い直した。今から50年以上前の話だが、新潟がんセンター整形外科で蒲原先生の下、受け持ちになったポリオの下肢麻痺の中学生がいた。筋力の改善することのない疾患の場合は、成長するにつれて障害の度が進むこともあって、整形外科医にとっては長い付き合いになることが多くなっている。この子もその後成人してから膝の矯正手術をしたり、下肢装具のことなどで時々相談を受けていた。
つい最近になってその患者が蒲原先生が亀田第一病院で手術を受けられたということを知っていたので、どこから情報が入るのかを聞いたら、市医師会報の随筆を読んでいるという。なるほど本人が書いていることを読んでいるのであれば、これほど確かな話はないわけだと改めて感心した次第。今は関西に住んでいるのだが、この調子だと海外にいても同じであろうと思っている。便利な時代になったものである。
病院のパソコンがのっとられるとか、銀行のパソコンがやられるとか、老人には分かる範疇を超えていることもあるが、便利なことは有難い。便利過ぎる時代で、戦争も無人機が戦っているような話である。そのうちにパソコン同士の戦いが、世を制圧するようにはならないで欲しいが、とかく行き過ぎる傾向はあるので、老人の生きている間はこの程度の便利さで十分である。今年も桜の花を見れることに感謝である。
(令和6年4月号)