蒲原 宏
顧みること45年ほどの昔であるが、県立がんセンター病院の副院長時代に県教育庁から県文化財保護審議委員を依嘱され10年余文化財保護の仕事を兼務させられたことがある。
佐渡島の文化財調査で流人医師北修道益の事績調査もあり、度々佐渡を訪れ佐渡の地元の郷土史研究者から援助、助言をいただいた。
大変親切な助言や新史料に接することができ多数の同好の学友から厚遇され成果をあげることができた。
その時に、北佐渡の北鵜島の集落に「車田植」という農耕儀礼が残っていることを知らされた。
国内では飛騨地方と佐渡島だけにしか残存していない貴重な農耕儀礼である。是非この農耕儀礼の実際を体験、調査したいと考えていた。
しばらくして推されて俳句結社「雪」の主宰をおおせつかったので、この機会に吟行句会を兼ねて車田植を体験しようと考えていた。
俳句結社「雪」の同人に当時新潟交通社長の中野進・順子御夫妻がおられ、佐渡のホテルのオーナーでもあられたので、車田植吟行の計画を相談したところ、「万事まかして下さい」ということで翌年の5月、車田植吟行が実現した。
総勢50名ほどだったと思うが車田植にとって最初の俳句会による吟行句会となった。
中野御夫妻の御盡力によって有意義な吟行句会となり、全国誌の中でも取りあげられた。
その後も毎年5月になると、テレビ、新聞にも紹介される様になったが、佐渡の医学史、洋学史の調査行の度に北鵜島まで足をのばし、車田植の1年を俳句にまとめようと思って俳句に挑戦してみた。しかし同工異曲の作品が多くなってしまう傾向は非力の然らしめるところと自覚した。このまま筐底に秘するのでなく、歳時記の参考になればと活字化に踏み切ってみた。
既刊の俳句歳時記には無い季題なので多少は後学の俳人にとっては参考になるかとも考えた。
車田は季題としては主として初夏に属するが、冬を除いては俳句の参考材料になるのではと考えている。
○連作「車田植」の50句
古き代の車田植を守り継ぐ
古き代の車田植の残る村
守り継ぐ車田植といふ神事
北佐渡に伝ふ車田植神事
北鵜島村に車田植を守る
北佐渡にひそと車田植伝ふ
北村家車田植を守り来し
車田の差配は全て家の刀自
車田の畦草刈はていねいに
田の神に車田植の神酒祝詞
車田に植ゑる玉苗祓はるる
車田に植ゑる早苗は越ひかり
神酒を田に注ぎ車田植ゑはじむ
大安を車田植の日と定め
車田に立てし御幤の新しき
車田に二礼二拍手して祓ふ
車田に立てし御幤に海の風
後ずさりしつつ車田植ゑすゝむ
後ずさりしつつ車田植ゑ終る
車田を植ゑる早乙女赤襷
車田の早乙女笠の新しき
越後から嫁ぎ車田植を守る
潮風にのりし車田植の歌
畦に佇ち車田植の田植歌
学校の生徒も車田植の歌
手拍子をとるは車田植の刀自
植ゑ終へし車田植女遅昼鑜
畦に座し車田植女かしましき
植ゑ終へし車田に風そよそよと
植ゑ終へし車田田水たっぷりと
植ゑ終へし車田にはや蝌蚪の群
植ゑ終へし車田にはや蛙鳴く
植ゑ終へし車田に蛭ひらひらと
車田に蛙の恋の夜もすがら
車田のあたりほつほつ初蛍
車田の水に八十八夜月
車田を植ゑ終へ九十九夜も無事
車田に五月雨の日々梅雨の日々
車田の潮風に耐へすくすくと
車田の日照りにも耐へすくすくと
稲虫もつかず車田すくすくと
汗ぬぐひつつ車田の草を引く
車田の稲の消毒念入りに
車田の二百十日も今年無事
車田の二百二十日も今年無事
一斉に咲く車田の稲の花
一斉に散る車田の稲の花
車田の豊の稲穂のふさふさと
車田の稔り上々手に重し
車田を刈る鎌を研ぐ丁寧に
一礼をして車田を刈りはじむ
黄金の車田の稲刈り上ぐる
神棚に上ぐ車田の今年米
家を守り車田植を守りて老ゆ
以上50句の習作を恥ずかし気もなく披露したのであるが、前述した様に同工異曲の作品が多く自己嫌悪もあるが、何とかこの世に稀な稲作神事を歳時記に集録して残したいというのが本願であり、それ以外の他意はない。
取材吟行で驚いたのは、佐渡島でも大佐渡の最北端に近い北鵜島の集落の北村佐市家に新潟市から嫁がれた女性がおられたことであった。
このことは佐渡島の研究者故田中圭一先生も御存知なかった様である。
「新潟市の何処から来られたのですか。」とお聞きしたら「大野の近くです。」とのことであった。
その時に授かったのが「越後から嫁ぎ車田植を守る」の一句である。自分自身で好きな一句。
50句の中で最も情感のこもった俳句だという思いは30年以上経った現在でも変っていない。
若々しい潑剌とした早乙女姿の方であった。
国の重要文化行政の民俗文化遺産に指定されてはいるが、北村家としての重責を引きつがれておられるらしい。過疎化の進行のはげしい佐渡島の中でも北鵜島は僻地だけにその行事の継承も容易なことでないだろうと思う。
今年もテレビ、新聞に北鵜島の車田植が報道されたのでほっと安堵の胸をなで下ろした次第。
新潟県の文化行政の予算は極めて少ないので文化財の指定は行われるが、その後の保護は十二分でないのは昔も今も変っていないようである。
車田植のごとき無形文化の継承に個人の負担を軽くする政策が積極的にあってほしい。朱鷺には寄附金と立派な施設があるが、車田植にも何らかの援助が必要あるのではないか。亡び消滅する可能性があるだけに気になる。無形文化保存に一般大衆も目を向けてほしい。
朱鷺のごと車田植を守りてほし ひろし