真柄 頴一
ヨーロッパ言語、ラテン語との共通点に興味を持ち英語を学び理解し、礼儀正しく美しく喋れば単独での世界旅行も可能だと言う意味だ。著者にとっては全くの夢物語だが。
末娘の試験の合格祝いでMadridとVeneziaを旅したスペイン語とイタリア語の差の印象。言語の表記は大差ないが、聞こえ方は西語の方が伊語よりも自然で軽やかで、巻き舌発音に少し違和感を持つも、しかし快活で粋を感じたこと。また、英語の発音の難しさよりは西語のそれの方が無理なく耳から入り、自身の口から楽に出て行ったこと。Veneziaで生まれて初めて聞いたsimpaticoの伊語の持つ意味が、直感的に肯定的な語であると判断出来たこと。意味合いは少し違うのだが、sympathetic 英、sympathique 英、sympathique 仏、simpático 西、simpatico 伊の、どれが聞き易いですか、喋り易いですか、また、書き易さはどうですか。′はアクセントを置く位置の西語の文法上の決め事です。
また別の機会にMadridのBarajas空港の待合室でモンゴロイド系の爺さんが美人職員となにやら楽しそうに会話している場に遭遇しコンチクショウと思ったことだ。
スペイン語教室に通うようになった。当初、英会話教室に併設されたオンラインでの数人のグループ授業で学び、楽しかったが物足りなさも感じ、個人授業を選択した。その教師はブラジル生まれ。ポルトガル語、西語、英語、仏語、伊語、日本語を普通に話すトンデモ女性教師だった。ヨーロッパ言語の多言語話者たるに大きなストレスはなかったが、日本語は難しかったと聞いた。特殊な漢字は別にして普通に読み書きし、PTAの役員もこなす。言語における脳内ネットワークの構築とその機能に優れるのだろう、驚きだ。厳しい授業であり、貴君の西語はスペインの幼児並みと言われ、がっかりもした。
中断はあったが、次に接した教師はスペイン、Valladolidの出身。正調Castilla語を美しく話す独身女性。授業中は、日本語、辞書を用いない。不明の時は英語を用いる約束をした。どういう訳か、いつからか、英語は世界語になった。凡そ70年前、著者がそれを習い始めた時代は、英、米国の言語であり、中学校の若い教師は当時珍しく会話と発音重視の授業をした。しかし、世界語であるとは言わなかった。スペイン、Santiago巡礼は地元の人以外、世界中から来る巡礼者が自己紹介で、皆が皆、英語を用いる。日本人の一般論として英語の読解力は良い。しかし、会話は苦手という人が多いと感じる(著者もその一人だ)。学会発表、その討論、政治・外交、商取引、旅行、娯楽等で英語が基本になっていく筈だし、現実にその様になっていると感じる。では、何故西語を学ぶのか。
独身女性の教師だからという理由も大いにあったが楽しい授業だった。英語は互いに知識を競いあった。両者ともに英語は第一外国語だから立場は同じだ。毎週一回の個人授業だからメキメキ上達しそうなものだが簡単でなかった。老年になって始める語学学習の困難さを思い知らされた。ある授業の日、突然に教師の変更を知らされた。Srta.María(教師の名)は結婚します。何も告げずに去ることを許して下さいとの伝言が届いた。家内はザマミロと思った筈だが、英会話教師はさすが、the Beatlesを生んだ国の男子。思慮深く、親身になって格調高いQueenʼs Englishで慰め、励ました。日本人にはない感性を備えた人種であると思った。
その後交代した西語教師は事情を言わず、姓名と出身地だけを述べた。後にMaríaの父親であると知った。当然ながら、挨拶、討論、朗読、西語文法、歴史、文学、美術、その他の芸術、宗教、園芸、諺、習慣、冗談等すべて(政治の話はタブー)西語(珍しく英語は全く話さず、日本語はひらがな表記と少し怪しい発音)で教え、語学教師では稀なことに、生徒を大袈裟に褒めない。授業中は恰もスペインに居るかのような西語漬けの雰囲気が著者にはとても心地良かった。常に心掛けるべきことは、物事を依頼する時、出来るだけ丁寧にと教えた。スペイン旅行中にとても役立った。
今の世、何故西語を学ぶのか。西語圏はメキシコに二度旅した以外全てスペイン本土だ。メキシコシティにある博物館Museo Nacional de Antropología(現物はすべて大文字表記)の看板を見て西語は直感的に馴染みやすい、理解出来そうだと感じたことは事実だ。それが泥沼にはまるきっかけだったのだと今になって思うことだ。また、メキシコの空港でタクシーを利用する際、向かう地域によりゾーン1.2.3…の様に大雑把に表示され、その意思表示は自身の音声で行なう方式だった。この時生まれて初めてスペイン語を大声で喋った。zone fourはzona cuatroだ。こんなに簡単に西語が喋れるのだと勘違いした。
スペイン、Castilla y León地方の県都Leónを旅した折、シェフ、ウエイター一人ずつの小さなレストランで若い給仕にワインの相談をした。最安値と最高値は除外すると彼は言った。ではどれを推すのかの答えは、彼の好みの地酒を教えた。Mencíaというブドウで造られ、土の香りが感じられ、ミネラル感が快い上等のワインだった。若者らしい応対に好感を持ち、しかも、他に誰も客が居ないから一緒に飲もうと提案した。ありがとうございます、とても光栄ですが仕事中ですからとゆっくり丁寧に断ってきた。対して、偉いねと告げた。簡単だ。!Bravo!と言えば良い。誘って良かった。
St. Domingo de Silosの小さなホテルで、ウェイトレスが、ホントにこのワインで間違いないの?一人で一本全部飲むの?と念を押した。年取った異邦人を気遣ったのだろうが、優しく救われた感じが良かった。心地好いワインだったし、注文した子羊の足一本を食べ切り、綺麗に食べたネ、と褒めてくれた淡く良い思い出もある。西語の発音は著者の耳に入り易い。それに反応して著者の口から出て行く西語は平易だ(難しいことは言えないから当たり前だ)。
同じラテン系の言語なのに仏語より馴染みやすい。
ジプシーの語を調べた。gypsy 英、gitano 伊、gitan 仏、gitano 西、zigeuner 独、順にジ、ジ、ジ、ヒ、ツイッの音で始まる。西語は清音で始まるので著者は軽やかに感じる。西語での解釈は1ジプシー(の) 2魅惑的な(女)、甘言で騙すのが上手な(人) 3(服装が)汚らしい(人)。著者にとりその解釈が何と珍しい、風変わりな、魅惑的な、異国風の、と感じる。汚らしい身なりの者がどの様な甘言を操り、どうやって上手に騙すのだろう。スペイン人のヒターノに対する感じ方に共感を覚える。著者は日本人のクソ爺だ。普通の大方の日本人から見ると、きっとエキゾチックなアンポンタンなのだ。
理解し易い文法を持つ言語が存在する訳がないのだから、スペインでは下手でも良い、文法が少しくらい間違っていても自ら会話の端緒を開くことにより初めて異邦人が迎え入れられる。スペイン人でさえ間違った西語文法を用いることがあると教師が言った。聞き易く、喋り易いと感じる西語だから心地良いのだろうか。しかし、理解し易い言語だとは決して思わない。
英語にしても西語でも、異言語を通じてその文化に触れることは何と快いこと、多言語話者たる希望を持つことが何と励みになることか。
孫達がそのようにそれに接することを切に望む。
今年は仕事上のボスから、長期の休暇願は否決された。世界の旅行者が一年に一度だけでも、飛行機での海外旅行を中止すれば、二酸化炭素の排出が大きく抑えられるのだそうだ。
協力するか。
(令和6年9月号)