八木澤 久美子
それは昭和57年3月30日、私が医学部1年生のある夜のことだった。全日本プロレスが新潟市体育館で興業した日のことである。特別リングサイドのチケットが手に入ったということで当時のアルバイト先の喫茶店店主と観戦した。特別リングサイドとはレスラーの汗やつばが飛び散り、外人レスラーのどぎつい香水が漂う席で場外乱闘になった際には必死で逃げなくてはならない場所である。外人レスラーのスター、ハルク・ホーガンやスタン・ハンセンは出ていなかったがジャンボ鶴田は大きかったし、ジャイアント馬場の体は大きいをとおり越し、敷布団のようだった。力道山の遺児、百田兄弟もセコンドについていたし、大満足のひとときであった。終わった後、意気揚々と関屋にあるアパートへ帰路を歩いていた。学校町通りの入口のあたりで、突然後ろ右側から口を押えられ、左の首筋にナイフのようなものをあてられた。そう、私は襲われたのだ。その時、頭の中で『太陽にほえろ』のテーマ音楽が流れ出した。すぐには家に帰れない、5~6時間は拘束されるだろう、親に連絡はどうしようか、それにしてもプロレスを特別リングサイドで見た直後の人間を襲うなんて、アンタ運が悪いぜ、振り返ってぶん殴ったろかい、と思ったが、いや、ここは刺激しない方がよろしい、なにせ相手は刃物を持っている。いろいろな考えが頭の中で浮かんだ。しばらくすると、前方から2人組の若者が談笑しながら近づいてくるのが見えた。それに恐れをなしたのかその男は「何も言わないで走れ」と言った。私はこう答えた「走るだけていいんですか」一瞬ひるんだように思えたが私の背中をバンと押した。私は全速力で走り出した。その当時バドミントン部で毎日3キロランニングをしていたので走ることは得意だった。20mも行った先に広来飯店があり、そこに逃げ込んで、事なきを得た。
翌日友人達に警察に行った方がよいと言われ新潟中央警察署捜査一課に出向いた。広いワンフロアにスチール机が20個くらいあり、入って左側に小さめの部屋、取調室が2、3あり、その一つに通された。四畳半程度の広さ、スチール机が中央と入口付近にあり、テレビドラマのそれと全く同じであった。刑事さんと対面で座り、「調書は私小説風に書いていきます」と説明を受けた。私、だれそれは昭和57年3月30日午後6時30分、全日本プロレス興業を見に行った。その帰りに…。という書き出しであった。私の話を聞きながら刑事さんのするどい質問が飛ぶ、袖口は見えましたか、何色でしたか、刃物といいいましたが冷たかったですか、「何も言わないで走れ」と言われ、「走るだけでいいんですか」と答えたところは、それまでペンを走らせていた刑事さんの手が止まり、ぎろりとこちらをにらんだ。「その人は知っている人ですか」「いえ全く知らない人です」このような問答が一時間続いた。
取り調べが終わり部屋を出たタイミングで待機していた4、5人の刑事さんたちがトレンチコートの裾を翻しタッタッタと小走りに出て行った。捜査が始まったのだ。その後、写真を撮るとのことで別な場所へ移動した。鑑識課捜査員、(ドラマ相棒に出てくる六角精児さんのような)紺色の制服、黒ゴム長靴で大きなカメラを持っている人がきて正面のみならず後ろからも私の全身写真を撮っていった。取り調べはこれで終了で2時間近くかかった。
その後しばらくの間、この話は酒宴で大いに盛り上がった。なんでそこで「走るだけでいいんですか」って言うかなあ。知り合いかもって思われても仕方ないよね、などである。ちなみに40年以上経った今でも犯人は捕まっていない。以上が「走るだけでいいんですか事件」の全貌である。
この話には後日談(同日だが)がある。すべてが終わり帰ろうとしていたらボスのような人(ドラマ太陽にほえろの石原裕次郎さんのような)が近づいてきて、「あなたの対応は非常に落ち着いていた。医学部を辞めて女刑事にならないか」と話しかけられた。もちろん丁重にお断りした。「一生懸命に勉強して医学部に入ったのですから立派なお医者さんになろうと思います」 完。
(令和6年10月号)