木村 洋
表題は私の大学時代の同級生がある地方会誌に寄稿した際の題名です。趣旨は、「晴耕雨読」とは田園で世間のわずらわしさを離れ、晴れた日には田畑を耕し雨の日には家で静かに読書をするように、世俗を離れて悠々自適の文人生活を理想とするという意と一般的には言われています。しかし、彼としては雨が降っていても、晴れていても、ずっと本に囲まれた生活が理想だと書いていた記憶があります。彼の家は代々続く旧家で、一度訪ねた時には大きな倉と書庫があり、書棚にはおびただしい蔵書が並んでいました。そこに彼は三代目として医院を継いだのですが、本に埋もれていたいという彼の思いも納得できました。そして彼らしい造語が数十年たった今も強く印象に残っています。
私自身は引退したら悠々自適で万巻の書を読めるような生活がしたいと思い描いて本を買っては本棚に飾っていました。一時は文学青年気取りで、世界文学全集に日本文学全集や古今の作家の書など数多く蔵書していた頃もありました。いわゆる積読です。しかし、引っ越しに次ぐ引っ越しで本の置き場が無くなり、まず、大型本から失われ、医学書も手放し、そしてなにもなくなった状態になってしまいました。
後で読もうと思っても、その時は来ないものです。彼の「晴読雨読」の言葉を思い出しながら、今の自分はといえば、晴れれば毎日の暑さで出るのが億劫に、雨が降ればうっとうしく怠惰に過ごし、まさに「晴眠雨眠」、一日中惰眠を貪る状態です。後悔先に立たず。やるなら、やはり「今でしょう!」。
「月灯虫音」、少し涼しくなってきたので眠っている本を少し読んでみようかと思います。
(令和6年10月号)