伊藤 久彰
新潟大学の小児外科学教室初代教授、岩渕真先生が亡くなられました。彼と私は新潟大学理学部乙類で一般教養を学んだ最後の学年でした。そして彼と私は、一般教養時代からアイウエオ順の名簿では隣同士でした。専門課程に入ってからも、実習では隣同士で、特に解剖実習などが懐かしく思い出されます。それでも学習を離れると、それほど濃密な友達関係ではありませんでした。一度、彼が百人一首大会に参加するというので、私もその会場を覗いてみました。でも、とても私が参加するレベルではなく私はただ見物しているだけでした。学生時代に最も親しくご一緒したのは、冬になると、その後新潟大学の学長を務められた荒川正昭先生や市民病院長を務められた木村明先生など同級生と数人の女性を交えて、池の平の宿舎に一週間程泊まって、スキーを楽しんだことでした。その夜は参加者全員が炬燵に放射状に足を突っ込んで寝ました。現在はスキーに行く人の多くはレンタルのスキーやレンタルのウエア着用のようですが、当時は自分のスキーを担いで汽車に乗って行きました。
大学卒業後は年賀状の交換程度のお付き合いになりましたが、それでもしばらくは年に一度の同級会があり、その時には彼はいつも裏方の中心で皆を集めてくれました。その同級会も今は皆、高齢になり数年前から中止されています。そして2~3年前に同級生の丸田宥吉君が亡くなられた時に岩渕君が追悼文を書いておられましたが、それから何年も経たずに今度は岩渕君が亡くなられることになりました。振り返りますと私達、新潟大学医学部を昭和35年に卒業して珊瑚会を形成していましたが80人卒業して今は50人が亡くなりました。残る30人も何らかの疾患を抱えているようです。散る桜、残る桜も散る桜。合掌。
(令和6年10月号)