永井 明彦
パリ五輪の開会式は史上初めて競技場外で行われ、歴史的建造物を望むパリ中心部のセーヌ川を各国選手団が船でパレードした。自由・平等・連帯を謳う人権宣言が採択されたフランス革命以降の歴史が称揚され、開会式は誇り高く演出された。ギロチンに遭ったマリー・アントワネットが自分の生首を持つ悪趣味なパフォーマンスがあったり、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のパロディのようなショーが、キリスト教を揶揄したというブーイングを浴びたりもしたが、「ラ・セーヌ」にはスペルが異なるものの『最後の晩餐』の意味もあるという。エスプリと皮肉を精一杯効かせた演出だったようだ。
フランスは良くも悪くも清濁併せ呑む多様性の国である。物事や観念のネガティブな面を挑発的な方法で露悪的に表現するレトリックを「偽悪語法(ディスフェミスム)」と称するが、フランスはディスフェミスム大国だそうだ。賛否を呼んだ開会式の演出はフランス独自の表現方法で、批判するのは野暮というものである。
その船上パレードでアルジェリア代表選手団がセーヌ川にバラの花束を投げ入れた。フランスの植民地だったアルジェリアは独立戦争のさなかの1961年10月、パリでの抗議デモで120人が警官隊に虐殺され、セーヌ川に投げ込まれた(1961年パリ虐殺)。フランス革命は血で贖われ、アルジェリア独立戦争でも残忍な戦い方をするなど、フランス人は血生臭く好戦的な人種でもある。聖火ランナーを務めたサッカーのジダンもアルジェリア系で「北アフリカ移民の星」として有名だが、アルジェリア選手団の行動は平和の祭典の舞台となったセーヌ川での惨劇を世に問うものだった。
一方、パリ五輪のサーフィンは南国の楽園のタヒチで行われたが、仏領ポリネシアはムルロワ環礁などが核実験で汚染され、住民に放射線障害が多発した楽園でもあった。核の負の遺産は植民地の負の遺産でもある。パリ五輪はフランスの歴史の明暗を際立たせる大会だった。
(令和6年10月号)