大滝 一
猫が人間と暮らすようになって1万年だそうです。これだけ長く一緒に過ごしていながら、猫がポーカーフェイスを保ちながら何を考えているのか、我々にはどうしても分からないところがあります。また、そこがいいところでもあり、面と向かっていろんな愚痴を言っても、全く嫌な顔もせず聞いてくれますので癒されます。聞いてくれているかは何とも言えませんが。
猫を飼っている方は「猫はいいよな、悩みもなく、ただただ眠ってばかりいて。あー、自分も猫になりたい」と一度は思ったことがあるのではないでしょうか。その猫も、文明化した現代で人に飼われていると、だんだん野性味を失ってきたなと思うこともあります。作家の赤川次郎が『三毛猫ホームズの推理』でも書いているように「この頃のネコは缶詰のキャットフードを食べ、人工の板で爪を磨いでいます。周りには追いかけるべき鼠もあまりいなくなって、ネコは退屈そうに眠るばかりなのだそうです。そんな文明化した猫の様子が、家でごろ寝しながらテレビを見ている○様族をなんとなく連想させる」と言っています。私が言っているわけではありませんので誤解のないようにお願いします。
私は、ねこは無駄に惰眠をむさぼっているわけではないと考えています。本来ねこは野生で、狩りで餌をとっていましたが、いつでも十分に餌をとることができたわけではないと思います。そこで大事になってくるのが、いざという時に必要な体力とエネルギーです。エネルギーの浪費は絶対に避けなければならず、したがって普段はじーっと静かにしていることが必要となります。猫は人に何と言われようと、寝ることがエネルギーの浪費を防ぐ最善の手段であることを本能的に知っているのです。惰眠は究極のエコなのです。どうです皆さん、猫って馬鹿にできないことがお分かりかと思います。惰眠をむさぼる猫、けっして侮ってはいけないのです。そう思うと猫がとても偉く見えてきませんか。人間ではこうはいきません。でもこの惰眠説、本当にそうかなあ? ご意見ありましたらよろしく!
(令和6年10月号)