蒲原 宏
桑名病院の佐藤舜也さんから7月22日付の手紙に竹の花が同封されて来た。パソコンで調べたら120年ぶりに全国的に淡竹(ハチク)の花が咲いたと報告されてあったと添書されていた。佐藤さんは角田山で採取された花を贈って下さった。「生れて初めて見た。90年に1度の体験」とあった。私は4年ほど前、新潟市西堀前通7番町の小料理屋の前庭で黒竹の花を96歳で初めて見た。佐藤さんの贈ってくださった花とほとんど同じ様なものであった。
確か、夏も終りに近かったと記憶しているが正確な年月日が思い出せない。採花しておいたのであるが、住居移転で現物は手許にない。
祖父の霊性から聞いた子供の頃「竹の花が咲くと不吉なことがある。蒲原浄光寺が新潟大火で明治41年に類焼した時に、寺の竹藪に花が咲いた」と言っておられた記憶がある。
竹の花は不吉の花とされてきたようだ。
見ばえのする花でなく、笹の葉状で色も竹の葉かどうかわからぬ花である(図参照)。
俳諧歳時記で「竹の花」の季語の記載されているものは見たことはない。私の体験と民俗学的な記事からすると、夏か晩夏なような気がするが、竹の花の例句を見た記憶はない。
とにかく、不吉な花とされてきたようである。
佐藤さんによると、今年は竹の子も大不作だったとあるから、衰弱の証據となるものらしい。
古来、俗説、口伝で不吉な現象とされているので、俳諧の一つとして残してみようかと挑戦してみることにした。老の一徹も手伝った。
世情は地球のあちこちで戦争があり、多くの無辜の人々がばたばた死んでゆく。国内外の政治状況も農業生産も不良、不作で混迷がつづいている。第3次世界大戦も起きかけぬ状況である。
不吉な「竹の花」が咲いても不思議でない世界情況。
一俳諧の徒として「竹の花」に挑戦してみた次第。
愚作に御同意いただければ幸である。
「竹の花」─習作─
竹の花見し驚きの山だより
竹の花見しとこまごま山だより
竹の花九十歳にして見しと
確かむる祖父の想ひ出竹の花
百年に一度の奇瑞竹の花
梅雨山の花の一つに竹の花
竹の花送ってくれし志
竹の花咲いて竹の子大不作
竹の花咲くは不吉と伝へらる
竹の花天下の奇瑞なれど凶
竹の花不吉の花とうとまるる
世の乱る兆とも伝ふ竹の花
奇瑞とも言はるも不吉竹の花
戦争のつづく地球に竹の花
わが死ぬ日刻々近し竹の花
竹の花は奇瑞の様だが、おめでたい花ではない様である。俳句の季語、季題にもなり難いのもむべなるかなとして15句を作ってみたという次第。とにかく奇瑞なれど一考を要する花である。
佐藤舜也さん採取の竹の花(角田山)
令和6年7月─(実物大)─
(令和6年10月号)