谷 久
1−1)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 ヘルベルト・フォン・カラヤン
コンサートマスター ミシェル・シュヴァルべ
1957年11月4日 日比谷公会堂
ミシェル・シュヴァルべはこの年ベルリンフィルに迎えられました。それまではスイスロマンド管弦楽団(エルネスト・アンセルメ創立)にいた人です。スイスロマンドとはフランス語圏のスイスという意味だそうでミシェルはフランス語、シュヴァルべはドイツ語で、まさにこの辺の人という感じです。独奏者としても十分やっていけた人だったらしく、カラヤンと共演したヴィヴァルディ「四季」などのLPなどが残っています。
1−2)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 ヘルベルト・フォン・カラヤン
1957年11月22日 東京体育館(千駄ケ谷)
ウェーバー「オベロン」序曲、モーツァルト「ハフナー」、R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、ベートーヴェン「運命」(「運命」はNHK交響楽団協演)
この日のチケットは買ってなくって、駅前で、ギリギリまで待って、ダフ屋を値切って手に入れたものです。最後の「運命」では100人を超える大オーケストラの演奏となりビックリしました。
1−3)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 ヘルベルト・フォン・カラヤン
ウィーン楽友協会合唱団
アンナ・トモワ・シントウ(ソプラノ)
ルーザ・バルダーニ(アルト)
ペーター・シュライヤー(テノール)
ホセ・ヴァン・ダム(バス)
1979年10月21日 普門館(席=1階21列23~24)
ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付」
演奏メンバーと座席番号だけ見ると、本場ヨーロッパでもめったに聴けない良い演奏会と期待したのでしたが……なにしろ普門館は5000人も入る立正佼成会のホール(NHKホールは3000人、サントリーホールは約2000人)。ホールの中に大きな柱が何本も立っているのです。あまり良い感じの演奏会ではありませんでした。
2−1)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 ゲオルグ・ショルティー
1969年2月4日 新潟県民会館
シューベルト「未完成」、R.シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、ベートーヴェン交響曲第7番
2−2)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 カール・ベーム、ロリン・マゼール
① 1980年10月31日 新潟県民会館
ベートーヴェン交響曲第6番「田園」、第5番「運命」
② 1980年11月1日 東京文化会館
モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」、ブラームス交響曲第1番ハ短調 Op.68
③ 1980年11月2日 東京文化会館
モーツァルト交響曲第35番「ハフナー」、R.シュトラウス交響詩「死と変容」、ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」
カール・ベーム(1894年8月28日~1981年8月14日)は音楽家に尊敬された音楽家のようで数多くの称号を持ち、時の大統領がもう思い当たるものが無いと嘆いた程でした。1980年来日時も椅子に掛け、東京で1~2回振っただけの様で、3回も通ったのですがベームを聴けなくて残念至極でした。しかしロリン・マゼールも史上最年少(30歳)でバイロイト音楽祭を振った立派な指揮者です。
3 ボリショイ・バレエ団公演
東京交響楽団
指揮 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
1957年9月21日 新宿コマ劇場
チャイコフスキー「白鳥の湖」、ドリーブ「コッペリア」
ロジェストヴェンスキー(当時26歳)、日本海海戦で東郷平八郎総司令官と戦ったロシアバルチック艦隊総司令官と同姓ですが、関係不明でした。
バレエを見るのはこれが初めて。舞台作りの見事さにビックリしました。カーテンが上がり客席がすこし暗くなると森の奥深くの湖のほとりにいるような感じになる程でした。床も今回の為に新しく上貼りしたとのことでした。舞台は見事、音楽は素晴らしく、バレリーナは綺麗、これぞ歴史あるロシアの総合芸術でした。
4−1)エミール・ギレリス(ピアノ)
1957年10月 日比谷公会堂
スカルラッティ「ピアノソナタ」、ドビュッシー「映像」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」からピアノ用編曲。
ステージ右手から、ラフなブレザー、ラフな靴のガッチリした男が現れ、いきなりピアノを弾き始めたのにビックリ、その音量にビックリ、高音域のピアニッシモの綺麗なのにビックリ、曲目自体は馴染み無かったのですが、ビックリ連続の演奏会でした。
4−2) エミール・ギレリス(ピアノ)
NHK交響楽団
指揮 ウォルフガング・サヴァリッシュ
1972年4月30日 東京文化会館
ベートーヴェン「レオノーレ」序曲第1番、ピアノ協奏曲第4番、第5番「皇帝」
素晴らしい音楽会でした。サヴァリッシュは1957年34歳でバイロイト音楽祭に招かれ、それまででは最年少の指揮者でした。ピアノも上手でエリザベート・シュヴァルツコップやディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの伴奏を依頼され、レコードも発売されています。日本とも馴染み深く1966年以後毎年のように訪れN響を振り、1967年名誉指揮者、1994年桂冠名誉指揮者の称号を贈られています。
5 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
指揮 エフゲニー・ムラヴィンスキー
1977年10月16日 新潟県民会館
シベリウス「トゥオネラの白鳥」「交響曲第7番」、チャイコフスキー「交響曲第5番」
ムラヴィンスキー(1903~1988)は35歳でレニングラードフィルの指揮者となり、来日時には音楽界の最長老でした。背が高く、面長で、姿勢も良く実に堂々としていました。楽団員の登場も見事で、右手から一列で整然と軍隊の行進の如く現れ、中央から奥の方へ進み奥から順に席が埋まってゆく統制のとれた感じは見事でした。曲目はレコードで聴き慣れたものばかり。音量は圧倒的な迫力で、新潟でこれを聴けたのは幸せでした。
6 ニューヨーク・フィルハーモニック
指揮 レナード・バーンスタイン
1979年6月27日 新潟県民会館
ハイドン交響曲第104番「ロンドン」、ドラックマン「オーリオール」、マーラー交響曲第1番「巨人」
バーンスタイン(1918年8月25日~1990年10月14日)は7度来日し、その最後1990年6月に新千歳空港から15分位の所にあるニドムゴルフ場に附属、近接したホテルと沢山のロッジの一つに滞在。PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル:国際教育音楽祭)を創設、監督しました。この頃すでに肺癌末期だったようですが、森林浴等の効果もあり一時的にかなり状態良くなったようでした。このロッジはバーンスタイン用に特別に材木ほか建築用材、内部調度品も全部フィンランド製(一泊60~100万円)。今はレナード・バーンスタイン・メモリアルルームとなっています。
ニドムゴルフ場は新千歳空港を通る有料高速道路を橋で繫ぐ45ホールのゴルフ場で空港から近く、着いてすぐにプレー出来る良いところでした。バーンスタインハウスの近くにやや大きなコッテージが有り、中央に15~6人が宴会出来るホールがあり、そこから四方に廊下、そこに2部屋づつ(計16人、ゴルフ4組)。ここへ我が家二人も誘っていただき、1998年から5~6回お盆にゴルフ旅行しました。