永井 明彦
昨年はベートーヴェンの交響曲第九番「合唱付」初演後200年の記念すべき年だった。新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあをサブフランチャイズとする東京交響楽団も先月の定期演奏会で第九を演奏し、常連の市医師会員の先生方とともに合唱に参加した。演奏会は当初指揮する予定にも拘らず84歳で急逝された桂冠指揮者の秋山和慶氏を追悼する魂の第九になった。
一方、この2月で宇露戦争(ロシアによるウクライナ侵攻)が始まって3年が経った。戦争にはプロパガンダや偽情報が付き物だが、80年前の第二次世界大戦でも、音楽がプロパガンダの有力な手段となった。中でも、ナチス・ドイツは自国の“楽聖”ベートーヴェンが作曲した第九を戦意発揚のため最大限に利用した。
当時のドイツ楽壇に君臨していた指揮者のヴィルへルム・フルトヴェングラーは、ナチス総統のヒトラーを忌避しユダヤ人奏者を擁護して体制内抵抗を貫いたが、亡命はしなかった。しかし、1942年4月のヒトラー誕生日前夜祭に宣伝相ゲッベルスの画策で、「帝国オーケストラ」と化したベルリン・フィルを指揮して第九を演奏せざるを得なくなった。この演奏は「ヒトラーの第九」と称され、NHKで放送された『映像の世紀バタフライエフェクト~戦争の中の芸術家』でもその記録を観ることができる。ナチス党幹部を前にして異様な極限状態で行われた演奏は、時代の不安を象徴するように疾風怒濤のプレスティッシモで終わる。
歴史的名演として神格化されている戦後の「バイロイトの第九」や、彼自身の白鳥の歌であった「ルツェルンの第九」の静謐で天国的な演奏とは、まるで異なる凄絶な演奏だが、その音楽的な価値は計り知れないといわれる。
第九はalle Menschen werden Brüderと、人々の友愛や平和を希う歌で、ベルリンの壁が崩壊した際にもEU賛歌として演奏された。宇露戦争が終結し、キーウやモスクワでも「歓喜の歌」が唱われる日は来るのであろうか。