加藤 俊幸
藤井氏は1954年に生まれ、巻高から大阪芸術大学を卒業。油彩画専攻であったが、湯之谷村の大沢和紙との出会いから墨で線を描き感じた色を和紙にのせる「墨彩画」を考案され、その後に出会った同年齢の片岡鶴太郎氏とも絵への思いは一致したという。42歳で高校教師を退職し、巻にアトリエを構えて活躍されるとともに、新潟や加茂などで教室を主宰し指導されておられた。
三越などでの個展を訪れるなど優しい色合いに注目してきた。初期の越後田植風景の絵は、地元の越後ビールの缶ラベルになり嬉しかった。新潟や山形の名所やホテルで絵はがきを見つけると求め、新潟展望風景、萬代橋桜景、魚沼田植風景、出雲崎夕景、鳥海山風景など季節に合わせて机上に飾ってきた。
他の風景画を楽しみにしてきた。近年は亡き娘さんの働いた思い出の台湾を訪ねて交流を深めるとともに龍山寺など異国の風景を次々に発表されてきたが、志半ばで病いに倒れ2024年3月に逝去された。11月には19回墨彩画教室展が開かれ、名作とともに遺作「大学病院病窓風景」の30号大作を拝見した。今後の新作を見ることがかなわず残念に思う。
本医師会報の表紙では小林晋一先生の描かれた新潟のスケッチを毎月楽しむことができることに改めて感謝したい。