佐々木 壽英
人間ドック検診で診察をしている時、睾丸腫瘍(セミノーマ)の既往歴があり、下腹部に大きな手術創がある受診者がいた。どこでこの手術を受けたかを聞いたところ、県立がんセンターで小松原先生に手術をしてもらった、とのことであった。元気に過ごされている姿を見て嬉しくなり、当時のことを懐かしく思いだした。
私が胃がん外科医として目標としてきたのは、理論的で高度な手術手技を駆使して「胃がん手術を極限まで高めること」であった。そこで、胃がんの神様といわれた梶谷環先生の手術を見学するために癌研究会附属病院(癌研)の手術室へ何回も通って勉強をしていた。
そんな時期に、泌尿器科の小松原秀一先生から「睾丸腫瘍(セミノーマ)は真っ先に腹部大動脈周囲リンパ節へ転移する、この腹部大動脈周囲リンパ節はセミノーマの1群リンパ節です。それで、腹部大動脈周囲リンパ節の郭清を教えてほしい」と言われた。
私も経験したことのない領域であった。大動脈周囲リンパ節の解剖を勉強し、対策を練った。そして、腹部大動脈周囲リンパ節の郭清範囲を、解剖学的な精巣動脈の走行とリンパ管の走行を考慮し、左右腎動静脈上下、大動脈左右の4領域と設定した。
セミノーマ症例が泌尿器科へ入院し、手術となった。小松原先生が病側睾丸を摘出した後、助手として入ってもらい腹部大動脈周囲リンパ節の郭清を一緒に行った。
泌尿器科ではその後、この領域のリンパ節郭清を何例も行っていた。しかし、セミノーマに特別効果のある抗がん剤が出現したため、腹部大動脈周囲リンパ節の郭清は行われなくなった。
胃癌研究会の胃がん取り扱い規約では、この腹部大動脈周囲リンパ節(No.16)を第4群リンパ節と規定して、ここへの転移を遠隔転移と位置付けていた。開腹時にこのリンパ節に転移を認めれば、末期がんとして、即閉腹してもおかしくない時代であった。
このセミノーマの手術経験から、胃がん手術にこの腹部大動脈周囲リンパ節(No.16)郭清を取り入れたいと思った。
初めは進行した胃がんで、No.16リンパ節に転移が認められた症例を選んで行っていた。
後腹膜へのアプローチは、十二指腸右側と上行結腸右側の腹膜をC型に切開し、小腸と大腸を完全に左側に起こして後腹膜の視野を確保した。
郭清範囲は大動脈の左右で左腎静脈の上下の4区画に分けた。更に必要な場合は左腎静脈下方を2段に分けての6区画郭清も行った。転移が高度で6区画で50数個のリンパ節転移を郭清した症例もあったが、生存延長への希望を持たせる効果しかなかった。
郭清技術が確立されてくるに従って、No.16に転移が疑われる症例にも適応を広げていった。当時の県立がんセンターの外科医はほとんどこの手技をマスターしていた。
胃がんの基本的手術の中へ本格的にNo.16リンパ節郭清を組み入れたのは、我が国で最初であったと思われる。
腹部を含む下半身のリンパの流れは複雑である。下半身と腰部からのリンパ管は腎静脈が下大静脈へ流入するあたりで合流する。そこへ胃からのリンパ管と脂肪を吸収した腸リンパ本菅が乳糜槽へ流入する。脂肪で白濁した乳糜槽は胸管へとつながり、胸管は胸椎に沿って上行して左鎖骨上部に達し、左内頚静脈と左鎖骨下静脈が合流する左静脈角へ流入し、リンパ液は静脈血とともに心臓に達する。
この左静脈角近くの左鎖骨上窩リンパ節(ウィルヒョウリンパ節)は胃がん頸部リンパ節転移部位として重要である。
腹部を含む下半身のリンパの流れを以下に表記しておく。
ある時、早期胃がん症例(64歳男性)の術前診察で、島田寛治先生が左鎖骨上窩リンパ節(ウィルヒョウリンパ節)の腫大を認めた。先生は腹部手術に先立って、最初にこの左鎖骨上窩リンパ節を摘出し、迅速病理検査に提出してから開腹した。
胃がんは幽門前庭部にあって隆起+陥凹型の早期がんであった。この時点で、迅速病理検査の結果が出て、がん転移が認められた。「大変貴重な症例になるので、早期胃がんですがNo.16リンパ節を含む拡大郭清を行ってください」とお願いした。島田寛治先生と大学から出張してきていた斎藤寿一先生が胃切除後に拡大郭清を行ってくれた。
術後の病理検査で、第1群の幽門下リンパ節No.6と第4群リンパ節No.16、そして遠隔ウィルヒョウリンパ節にのみ転移が認められた。この貴重な症例が、術後10年生存を達成することになるのである。
その後、早期胃がんから進行がんまで各ステージにわたってこのNo.16郭清を100例以上実施した。その結果、がんの胃壁深達度別のNo.16リンパ節転移率が算出できるまでの症例数を確保できた。
1993年(平成5年)に論文「胃がんの拡大手術、腹部大動脈周囲リンパ節郭清」を全国的に権威のある医学雑誌『手術』に投稿した。雑誌『手術』は、「特集 胃癌手術 最近の話題」と題して採用し、掲載してくれた。
1995年(平成7年)9月、札幌で開かれた第23回癌とリンパ節研究会で、胃がんNo.16リンパ節転移の問題が1日中議論された。私は「大動脈周囲リンパ節転移を郭清し5年以上長期生存した胃がん11例」と題して発表した。この時に、癌の胃壁深達度別No.16リンパ節転移率も発表した。全国でNo.16リンパ節転移を郭清した5年生存例を10例以上持っているのは、癌研と国立がんセンターだけであった。
その夜の懇親会で、癌研の院長で胃がんの仏様と慕われていた西満正先生から、「今日1日議論してきたが、君の演題1つあれば他はいらなかったよ」と言われ誇らしく思ったことを記憶している。
しかし、この腹部大動脈周囲リンパ節の拡大郭清は技術的に難しく、安全面でのことを考慮してか標準術式として残ることはなかった。
胃がんに有効な化学療法がなかった時代に、確実に11例は5年生存している、この事実は貴重であった。
癌研の胃がんの神様と云われ尊敬されていた梶谷環先生の梶谷語録「がんの手術は逃げるべからず」が思い出される。