真柄 頴一
2025年2月、福井のズワイガニ(越前ガニ、山陰では松葉ガニ)。
5月の連休過ぎ、近所の魚屋の北海道産がざみ(ワタリガニ)について思ったこと。
2月に孫の誕生祝で名古屋に行き、帰路、JRで敦賀、北陸新幹線で福井へ。一泊し、駅前食堂で、高価だが一生に一度の経験と思い、大型の一匹を妻と二分して試みた。海水で茹でるのだと言う。ミソが多く、引き締まった身は確かな本来のズワイガニだった。
長浜付近の姉川の鉄橋を渡る時、戦国時代、姉川合戦で散った祖先、真柄十郎左衛門が、カニを食べて行け、時には俺の存在を思え、墓場の掃除を怠るな、と言うだろうと思った。その思う心が蟹の味を増幅させた。彼と話しがしてみたい。なまっちょろい!ひきしまれ!と言われるのだろう。その音声と当時の日本語表現を聞きたい。
5月の連休過ぎ、近所の道の駅の魚屋で(スーパーより品が豊富で、鮮度が良いから魚が食べたい時に利用するが連休は混雑し、入り難いから近寄らない)品定め中に、偶然目にしたワタリガニが、直感的に、値札を見る前にこれは良いと判断出来る特別な気分を湧かせた。かにが、買え買えと言った。古参の店員に願い、9匹居た中から特に良品を選抜出来た。妻が茹でた。旬の個体は鮮オレンジ色の蟹みそが菱形の甲羅の先端までぎっしり詰まり心を奪われ、独特の芳香の身は上等で、安価ではないが納得できると思った。長女が生まれた翌年の初夏、健在だった両親と共に内野の新川沿いの料理屋で経験した極上の味に次ぐ佳品だ。買って良かった。
現在、地場産はほとんどないと店員が言った。何時ぞや、寺泊港から夜の太刀魚釣りに出た折り、集魚灯に泳いで寄って来たワタリガニを見、大急ぎで船頭からタモを借り、捕まえようとした時既に遅く、両鋏を左右に振り振り、横泳ぎで去った様子を見ていた釣り人が拍手し、蟹を祝福した。気恥しかった。
時に、佐渡産の生きたズワイガニ、毛ガニを店頭で見掛ける。価値は十分だが日常の食材にしてはやはり高価に感じる。
今年は後期高齢者からいよいよ末期高齢に向かうが、僕は、自分が末期高齢医者であることを自覚している。一生に一度のズワイガニと五十数年振りの極上に次ぐ上等のワタリガニを経験した報告です。
追記。皆様はアメリカザリガニが食用である事をご存知ですか。当地ではエビガニと呼びます。著者は美味と知っています。茹でるとナンバンエビのアロマとズワイガニのテイストを合わせた様に感じられ、イセエビ、オマールエビより上品とは言えぬとも濃厚な味と感じます。米国ミシシッピ川にはざりがに祭りがあり、養殖も盛んで、人びとがそれを楽しみに待つとの報道に接したことがあります。現在の日本で食べる人は滅多に居ないでしょうね。
幼い孫達がザリガニを釣り歓声を上げる、その天使の様な声を聞きながら、転落に備えて待機している自分の幸せを感じます。
(令和7年8月号)