山口 正康
通院していたKさんは、99歳になり体が思うように動かなくなり、往診を依頼された。
私が豊栄病院に勤めていた頃、Kさんの父親を往診し、看取ったことを思い出し、あわてて写真を探した。今から32年前、病院の訪問診療が始まり、往診記録の写真は、すぐに見つかった。写真には古い農家の居間のベッドに横たわり、にこやかに笑っているKさんの父親と、その脇で優しそうに介護しているKさんの妻(嫁)が写っていた。
あれから32年、今お宅はどうなっているのだろう…。世代を超えて、再び往診することへの感謝と緊張感を感じた。
どこまでも広がる水田の細い農道を通り抜けた集落の一角に、タイムスリップしたように、昔とまったく変わらず、その屋敷はあった。
Kさんは、あの時の父親と同じように、満面に笑みを浮かべ、握手してくれた。「よく来なさったねえ。本当に、ありがとう…最期までこの自宅で診てくださいね」
奥様も、優しい笑みを浮かべて迎えてくれた。
Kさんは、父親の後を継ぎ、トマト農家をされていた。Kさんの作るトマトは、有機農法で、地元では評判のトマト農家だ。勉強熱心なKさんは、医院の待合室でも、いつも熱心に農業の本を読んでいた。生来真面目で、農業一筋の生活であったが、95歳頃からは、足腰も弱ってきても、気丈に、ご夫婦でトマト栽培を続けていた。
しかし、今年の春に植えた苗は、異常気象のため無情にも次々と枯れていった。Kさんは動けなくなった体を悔やむでもなく、淡々と「自然には逆らえないねえ…」と話していた。
来年の2月で100歳になるKさんに、私は、「100歳になったら、収穫したトマトに「100年トマト」と名付けて、みんなでお祝いしよう!」と提案した。
ご夫婦は、大笑いして、顔を紅潮させて喜んだ。
手入れができなくなったトマトは、とうとう多くが枯れ、残っていた苗5株を頂き、医院の庭に移植した。どうか、実がなりますようにと願って。1か月後、Kさんの農地のトマトは全て枯れてしまったが、診療所の苗は、少しずつ育ち、往診の度に写真を見てもらい、育て方のアドバイスを受けた。
Kさんは、優しい奥さんや、息子さん、娘さんに見守られ、訪問看護師さんに励まされて、在宅の生活は穏やかに過ぎた。
Kさんが亡くなる3日前に、小さな青い実がなった。しかし、生前に実ったトマトを渡せなかった。看取りが終わった帰り道、悔しくて、涙が止まらなかった。
その後、青い実のトマトは奇跡的に赤く熟し、「100年トマト」のレッテルを貼って、奥さんに手渡しに行った。とても喜び、「来年は、私がまた頑張って作ってみますね」と語ってくれた。来年の今頃、赤く熟したたくさんの「100年トマト」を想像し、胸一杯になった。
Kさんの「トマト」も「いのち」も繋がっていく。
(令和7年10月号)


クリニックの庭のトマト

トマトシール