加藤 俊幸
新潟大学病院入退院口には「ヒポクラテスの木」として親しまれているプラタナスの木がある。医聖と称されるヒポクラテスは、紀元前にエーゲ海のコス島に生まれ、プラタナスの大樹の陰で弟子たちに医学を説いたと伝えられる。
脳研の中田瑞穂所長がこの地のスケッチを残され、俳句を師事していた蒲原先生は1969年9月に学会の帰路にコス島に寄られ、博物館の庭の医聖の木の球状集合果3個を持ち帰られた。発芽した実生株を造園家の新保只衛氏のもとで9本の苗木に生育されてから、1972年研究棟前庭に第1号を植樹され、中田瑞穂先生揮毫の石碑が建てられ、蒲原先生の名も刻してある。
私は蒲原副院長と同じがんセンター病院に勤務し、「和顔愛語」や適塾の越後出身者などのお話を聞いていた。そして1992年にHIPPOCRATES SYMPOSIUMでコス島を訪れ、医学生らによる医学の誓いに参加する機会があった。この時の医聖の木はすでに樹齢500余年の老木だったので誓いの宣言書とともに黄葉を1枚持ち帰り、先生に伝えた。
大学の蒲原株第1号は50余年すくすく成長し、今や病棟を越す大樹となっている。その第1号などから挿し木で増えた蒲原株系統は、「医学のシンボル」として同門の働く関連施設で育成しており、2023年には第31株が岐阜大学に植樹された。
蒲原先生は整形外科医、医史学者、俳人としても有名で、多くの句集や随筆集を執筆された。県医師会報今年1月号には「ヒポクラテスの木」10句を投稿され、改めて深い思い入れを感じる。先生自身、ヒポクラテスの木を日本にもたらし、しかも長生きをしてその成長を見とどけ満足できそうであると述べ、この木に宿る医聖の精神こそが何よりの遺産だと語られ、今年3月3日に101歳でご逝去された。
(令和7年10月号)