伊藤 久彰
米寿が過ぎると、すぐに卆寿となる。私の父は86歳で亡くなったので、私の人生の目標はまず86歳であった。いま私はそれを過ぎて来年の1月で満90歳になる。偶然、先ほど、テレビで蒲原宏先生のことが映されていた。蒲原先生は101歳で亡くなられたが、「医師とても100歳までは、稀である」と言っておられた。蒲原先生は昔、特攻隊員にヒロポンを注射して元気づけたことを後悔しておられたが、当時は命令を受けて注射したのでヒロポンの作用をよく知らないで注射したのだと話しておられた。当時はどうせ戦争にゆくならば、最前戦に行かなくても良いようにと軍医になった人も多いと聞く。それでも医師の平均寿命はしばらく低かった。その後、世の中が落ち着いて、また医師の働き方改革などで医師の平均寿命も世間一般と共に伸びている。それでも、私の新潟大学の同級生は80人中50人は亡くなっている。そして残りの30人も、あと10年の間に消えてゆくのであろうか?蒲原先生は100歳でテレビに出演されて、101歳で亡くなられたようである。私は心電図では心室性期外収縮が出ているし、血圧もやや高めである。今更最後は癌ではなく、心臟麻痺など、循環器の疾患か脳梗塞かと思っている、そうすると突然死ということもあるかもしれない、死なない人はいないので、それも仕方がないと思っている。東京の娘が年に2回くらい、私のごみ屋敷の片付けに来てくれるが、なかなか片付かない。来年1月には孫の結婚式もあるが、私は何かあって皆に迷惑をかけると悪いので欠席にした。妻は若年性認知症のため、特養でもう20年も暮らしている。現在は経管栄養であるが、状態は落ち着いている。妻も最後は苦しまずにゆかれるようにと願っている。「世の中に光も立てず星屑の落ちては消ゆるあわれ星屑」野菊の墓の一節である。
(令和7年10月号)