佐々木 壽英
東ドイツのドレスデンを2012年5月に訪れた。夕刻、深紅のバラが咲き誇るエルベ川沿いを散策した。対岸にはカトリック旧宮廷協会や州立歌劇場が建つ旧市街が見えていた。エルベ川に架かる長いアウグストゥス橋を渡って旧市街をめざした。すると突然、橋の中央にある踊り場の欄干に巨大な北斎の「神奈川沖浪裏」の波が現れた。驚いて、夕焼けに染まるエルベ川をバックに北斎の波を入れて撮影した。
19世紀後半、西洋を襲った大激震「ニューウエーブ」が「ジャポニズム」であった。
北斎が70数歳で描いた冨嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」は激しい波に翻弄される押送船を富士山が泰然と見守っている遠近法を駆使した斬新な構図である。ジャポニズムに強く影響されたドビュッシーは、北斎の「神奈川沖浪裏」に霊感を刺激されて交響詩「海」を作曲した。1905年に出版された『La Mer』スコアの表紙には、まさに北斎の「神奈川沖浪裏」の波が富士山と押送船を除外して描かれている。
この交響詩「海」の表紙に描かれた波がアウグストゥス橋の踊り場に出現したのである。
この北斎の波は、現在のカメラなら数1000分の1秒の高速シャッターで撮影した画像を思わせるものである。北斎はそんな鋭い眼力でこの波頭を見ていたのであろうか。
(令和7年10月号)

写真:アウグストゥス橋の「北斎の波」