山口 正康
「こんにちは!田中角栄です!」
その日は少しだみ声をつくって、玄関をくぐりました。
「まあ角栄さん、よく来てくれましたねえ。さあ、どうぞ上がって下さいな」
お母さんに迎えられ、いつものように家に上がります。
往診先は、事故の後遺症で若くして寝たきりになった女性です。
ベッドから車いすへの移乗は、機械を使っての全介助。
長年の介護で、お母さんの表情には疲れがにじんでいます。
診察をしながら、いつものように会話が弾みます。
「日本はだめになりましたねえ、角栄さん、ひと頑張りして下さいよ!」
「え~、まーその~…頑張りますて!」
ベッドの彼女はケタケタと笑い、部屋の空気が一気に明るくなります。
往診のたびに、私はいろいろな“キャラクター”で登場します。
小林幸子の日もあれば、北島三郎が「は~るばる来たぜ新潟~♪」と歌いながら入る日もあります。
タコ八郎や郷ひろみになることもあり、そこへ野良猫がひょっこり入ってきて、さらににぎやかになります。
彼女は手が思うように動かせませんが、塗り絵が大好きで、毎回きれいに塗った絵を見せてくれます。
私もお礼に新しい塗り絵を持って行ったり、スケッチを描いたりして、一緒に楽しんでいます。
ある日、ふと目に入ったカレンダーの裏の白い壁に、彼女の似顔絵を描いてみました。
彼女と私だけの秘密の似顔絵。
家族に見つからないよう、カレンダーでそっと隠しました。
「内緒にしようね」
それから往診のたびに、落書きは少しずつ増えていきました。
お母さん、お姉さん家族、野良猫、私…。
そして、いつも来てくれる優しいリハビリ療法士やケアマネジャーさん。
気づけば、彼女を支える多職種の仲間たちが、壁いっぱいに並んでいました。
家族には秘密のつもりでしたが、どうやら気づいているようです。
それでも誰も何も言わず、静かに見守ってくれていました。
彼女から聞くデイサービスでの笑い話、病院の先生のうわさ話、介護士さんたちの屈託のない会話…。
そんな話を聞きながら、その日は一緒に来ていた医学部実習生の似顔絵を描き足しました。
あらためて思います。
どれほど多くの人が、彼女の医療と生活を支えているのだろう。
目には見えなくても、静かに、確かに支え合っている。
在宅医療には、生活の中にある“その人らしさ”が光っています。
そして、その人らしさを守っているのは、家族と多職種の深いつながりです。
これからも、落書きの中の「多職種連携」の輪が、あたたかく広がっていきますように。


カレンダーの裏の落書き
(令和8年4月号)