新津信愛病院
清水 敬三
A病院神経内科から、無理心中未遂の夫の診察依頼があった。妻は発症から2年が経過したALSで、最近胃瘻を造設したばかりだった。左手でタブレットを辛うじて操作し、夫と二人で暮らしていた。夫は仕事を辞め、介護に専念していたが、進行する病と孤立した生活の中で追い詰められ、妻の首を絞めようとした。しかし絞め切れず、娘の通報で警察が介入したものの、事件にはならなかった。
妻はA病院に入院となり、夫婦ともに私が診察を担当することになった。夫は「自殺はしない」と約束し、妻は手厚いサポートのもと、可能な限り外泊を繰り返した。しかし病状は進行し、やがてタブレットペンシルすら持てなくなった。夫はパート勤務に復帰し、情動の安定を保ちながら、献身的に支え続けていた。
12月25日、私は病室を訪れた。妻はカニューラから酸素投与を受け、左手がわずかに動く程度だった。それでも眼で頷き、意思を伝えようとしていた。
その眼差しに、私は強い訴えかけを感じた。
言葉ではなく、呼吸でもなく、ただ眼だけが語っていた。
その瞬間、私は心ならずも目を伏せていた。
夫は、この眼に真正面から向き合い続けてきたのだと、遅れて理解した。
数日後、夫が診察に現れた。
「12月31日、妻が永眠しました」
静かな声だった。
深い悲しみの中に、どこか安堵のようなものが混じっていた。
ALSは、患者様だけでなくご家族の人生をも深く揺さぶる病である。介護の重さ、進行の残酷さ、意思疎通の困難さ。そのすべてが、ご家族の心を削っていく。私たち医療者は、患者様の症状だけでなく、ご家族の苦しみをも見つめなければならない。
あの日、妻が向けた訴えかける眼は、医療者への問いでもあった。
─あなたは、この家族の痛みに気づいていますか。
─支えるべき場所を、見誤っていませんか。
その眼差しを、私は忘れないでいたい。
川柳
訴え眼に 応えきれずに 目を伏せる
(令和8年5月号)