山本 保
「楽しむ」としたのは本心からですが、「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(雍子)という名言の所為もあります。
中田みづほ先生(以下先生)の「みづほ全句集」(考古堂書店、昭和56年)の編集者は長谷川耕畝さんで、「あとがき」は蒲原ひろし先生です。耕畝さんは解説も書いており名解説です。痒いところに手が届いています。
私は、これまでも先生の句を時節に合せて県医報や上越医誌等に引用させていたゞきました。その度毎に他句にもサっと目を通すのですが、こういう読みかたでは駄目だと反省し、一句一句じっくり読むことを88歳で決意しました。電子辞書のフル活用です。
耕畝さんは、先生のまねをしてはいけない句を10句あげています。それは、先生は完成された「みづほワールド」を持っておられるから許されるが、普通の人は真似してはいけないということです。しかし、読者は感動して唸ってしまうこともあります。
私は、10句中3句に感動しました。私の造語「感動一致の原理」にぴったり当てはまりました。感動からはイマジネーションも広がります。
1)香煎
麦茶あ麦茶 香煎やあ香煎(昭和34年)
「コウセン」の漢字はこうなんだと確認するのに43年間もかかりました。私の愚拙。
先生は、亀田の句会のあと、少年時代、津和野の農家でお飲みになった香煎の話をされたのだ、と私のイマジネーションは広がります。そして、ある時亀田の方が自家製の麦茶と香煎を持って来られたのです。先生の感動がそのまゝ句になっています。
私は、父の転勤で小学校2年から3年間、東頚城の松代で過しました。戦時中の食料事情は最悪で母が苦労しました。私は軍国少年であると共に農業少年になりました。学校では縄ない競争もあり、隣の農家の手伝い、見学もしました。
上の姉が長岡の全寮制の学校に入っており、帰省して帰るとき、母が「コウセン」を持たせるのです。母が石臼でひいて「コウセン」を作るのを炉で見ていました。一寸失敬し、お湯でかいて食べたら、まあまあの味でした。
小学校5年から十日町小学校へ転校し、農業とは全く縁がなくなりました。しかし、「コウセン」がなつかしく、知っているであろう人に問うのですが誰も知っていませんでした。私が「コウセン」にこだわったもう一つの訳は、松代のいたずら好きの農人が「豆一つで屁三つ、芋一つで屁六十、コウセン屁の限りなし」という名言を教えてくれたことです。
広辞苑によると、香煎は大麦、玄米などを炒って挽いた粉。山椒や薬草の粉などを調合して湯をそそいで飲料とする、とあります。
まねをしてはいけない一句から、感動には年齢差がないことを教わりました。
2)月
科学とは月の素肌の醜くさよ(昭和39年)
科学とは月も土足にかくること(昭和44年)
昭和32年(1957年)、ソ連人工衛星スプートニク1号打ち上げ成功。昭和36年、ソ連人間衛星船ヴォストーク1号打ち上げ成功。ユーリ・ガガーリン「地球は青かった」。34歳で死亡。
昭和44年(1969年)、米「アポロ11号月面着陸」。アームストロング船長「鷲は舞い降りた」。
これらに対する先生の句は痛烈です。怒りがそのまま句になっています。だから真似してはいけないのでしょうね。
私は、まだ大学で修行中であり、先生と同じ時間を過したことになります。よくも私の「かぐや姫」や良寛の「月の兎」のイメージをぶっこわしてくれた、と睨みつけて見ていました。「怒り一致の原理」です。
NHKテレビの招待視聴者の中に俳人中村汀女さんがおり、何かコメントされたと思うのですが全く記憶に残っておりません。汀女さんは先生を尊敬された方ですから、お気持は先生と同じだったと思います。
病人の手鏡に月高過ぎて(昭和41年)
明月を仰ぐ七十五歳かな(昭和43年)
明月に老の拍手ほとほとと(昭和43年)
名月をとってくれろと泣く子かな
(小林一茶)
(令和8年6月号)