佐々木 壽英
松之山は名だたる豪雪地である。その松之山の奥地天水山には、5メートル以上の豪雪に耐え抜いた広大なブナ林がある。このブナ林は日本自然百選に選ばれたブナの原生林である。
この「天水越ブナ原生林」は天水山の北側約200ヘクタールにわたって広がっている。
松之山からこのブナ林へ登る途中に大厳寺高原がある。松之山から大厳寺高原への雪道が開通するのは、5月に入ってからである。
当時、このブナ原生林を撮影したいと思って最初に天水越へ向かったのは、2004年5月8日であった。新潟を夜中に出発して、大厳寺高原の牧場横に車を停め、天水越のブナ原生林を目指した。単独行であった。
5月になっていたので、林道の雪は締まっていて歩きやすかった。周囲の景色を楽しみながら約1時間かけて登って行った。頂上近く道が三叉路になっている地点で素晴らしいブナ林に出会った。ここから原生林に入ることに決めた。
撮影を開始したのは7時前であった。原生林に入ると、残雪の中に美しいブナが林立しており、原生林というイメージではなかった(写真1)。
周囲を見渡すと、ブナ林の中にひときわ目立つ太いブナの木があった。周囲の細いブナの木に囲まれていた(写真2)。
この木の周囲は二次林(炭にするために伐採された木が成長した林)で、この太いブナの木は切られずに残った所謂マザーツリーであると思った。それで、撮影後にこのマザーツリーの太く逞しい幹に手を触れて、感触を確かめた。
このブナ原生林へはその後10回近く通って撮影してきたが、その度にこのマザーツリーに挨拶して、撮影してきた。
この年の5月31日は雪も消えて、天水越のブナ林まで林道が開通していた。マザーツリーの周囲の雪も消えていた。矢張り美しい原生林であった(写真3)。
翌年の2005年5月5日は原生林の雪の上が真っ赤に染まっていた。マザーツリーの周辺も真っ赤であった(写真4)。
ブナの芽吹きの時期に、ブナの新芽を包んでいた赤いケースが落ちたものであった。太陽の熱を受けて新芽の芽生えを早めるためにケースを赤く染めるというブナが生み出した自然の驚くべき能力である(写真5)。
毎年マザーツリーを撮影してきたが、どれも太い幹の部分だけであった。2007年になって初めて、ほぼ全身の立ち姿を撮影した。それが写真6である。
2010年8月1日の午前中、飯山線側から入って天水山の南側にある野々海池を撮影していた。午後になって松之山経由で帰ることにした。野々海池は晴れていたが、天水山の北側に入ると、途端にブナ林に霧が湧いてきた。
平地から見れば入道雲に覆われた夏山の姿であろうが、天水越の原生林は深い夏霧に包まれてきた(写真7)。
この霧のブナ林を撮影しながら、久々に会うマザーツリーに近づいて挨拶してから、幻想的な姿を撮影することができた(写真8)。これがマザーツリーを撮影した最後の写真となった。
今年2026年の春は、冬眠から目覚めたばかりのツキノワグマが里山に出没し、世間を騒がせている。
しかし、20年前は、この原生林で熊に遭遇することなど全く心配しておらず、単独行で入っていた。大厳寺高原で大量のブナの実を撮影したこともあった。当時熊が出没しなかったのは、原生林のブナの実が豊かに実っていたからでしょうか。

写真1 天水越のブナ原生林 2004.5.8

写真2 天水越ブナのマザーツリー 2004.5.8

写真3 天水越雪解けのブナ林 2004.5.31

写真4 新芽の赤いケースが落下 2005.5.5.

写真5 ブナの実と新芽の赤いケース

写真6 マザーツリーの立ち姿 2007.5.27.

写真7 夏霧のブナ林 2010.8.1.

写真8 夏霧に立つマザーツリー 2010.8.1.
(令和8年8月号)