真柄 頴一
同名のエッセイ集を読んだ。68人が書いた。知っている人。作家、エッセイスト、往年の名女優、声優、医者、ジャズピアニスト、料理人、大学教授、マンガ家、歌手、俳人など多岐にわたる。知らない人、世間に疎い僕だから知らないのだろう。選定基準が全く想像出来ない。其々が自分の幸せ感を述べ、同じ記述は一つとしてない。だから僕も書いてみようと思った。
週休4日の身になるまで、明るいうちに夕食を摂るなんて思いもよらなかった。
その夕食時、網戸の向こうではオオタカの幼鳥たちの鳴き交わしながらの飛行訓練や、幼い狸が次々に歩いて行く姿が見られ、ヒグラシゼミの声が酒に染み入る。毎週月、火曜の夜明けから決まって6時迄、砂浜での鱚釣り。土、日曜は他の釣り人の邪魔だから行かない。5号6号の鈎は用いない。小さな鱚を釣らないために。老妻と二人分の酒のあてには10匹もあれば十分だ。持ち帰り、下処理をして骨せんべいと天麩羅の用意をし、夕食前に自分で揚げる。好みの味に仕上げるにはテンプラバターの硬さや温度、揚げ油の温度や時間を想定する。後始末も自分で。さもないと妻に叱られる。
もう一種のあては自作の枝豆“初だるま”だ。素人なのに幸運にも枝豆の味がする。理由は良く分からぬが、初だるま以外の中手、晩生の枝豆はうまく育たない。悲惨な味がする。土質もあろうが中之口川の西側に位置する名産地、木場、板井、小平方、黒鳥はすぐそこなのに。施肥が難しいと患者さんに教わったこともある。早朝採りが良いなら前日の夕方の超早採りはどうかと問うと、その様に考えるから失敗するのだと言われる。
今年は種苗屋で100粒入り一袋を買い、試みに25粒を4回に分け1か月ずつ遅らせて育苗トレーで育て、定植した。直播より丈夫に育つと診療中に教わったから。このエッセイを書いている時点で、3月4月に植えた分は食べるに値した。5月6月の分が楽しみだ。枝豆農家の当主にこの試みを話したら興味を示された。結果を知りたいと。
家内とは食の好みが全く異なるのだが晩酌は意見を一にする。365日、15℃程の赤ワインを好む。どの様な日本料理でも白ワインを選択しない。和食堂でも同じ。中居さんの怪訝な顔を見ることも屡々だ。Y.というアルコール専門のスーパーで売られている3Lで1800円程のスペイン産のボックスワインを偶然に知った。カベルネソーヴィニヨン、メルロー、テンプラニージョの3種があり、其々の味がする。750mlで500円未満というのは少しどうかと思うが、しかし飲むに堪える味を持っていると思う。以前は時々夜中の往診依頼の電話があったから自由には飲めなかったが、週休4日のグータラ医者になってから夜中の電話がめっきりと減った。きっと末期高齢のあぶない医者#注、にはかかりたくないと思っているに違いない。
東京交響楽団の定期演奏会に妻に連れられて行くようになった。二階の中ほどの席だ。音が良いのだという。ピアノ奏者の手の動きが見えることも大切なのだそうだ。夕食時、孫や演奏者の話は盛り上がる。ひまりちゃん、すみの君、そりた君、つじ君はよく話題に上る。僕はピアノ奏者として3人とも好きだが、妻は違う意見を持っているらしい。
幸せって何だろう。
自然一杯の中の夕食か、ワインか、語らいか。文を書くことか、その構想か、書いている時に湧き上がる心像か、その心像がストレスから僕を解放するから幸せと感じるのだろうか。John LennonのImagineは好きだ。コンサートに居て、曲の構成、その意図すること、訴えとその善し悪しは、僕には良く理解出来ないが、楽器の音と旋律に感動する。CDでは決して得られないから。ショパンコンクール、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは興味を持ったが叶わなかった。
外国語レッスンで教師の言うことや、旅先で案内人の言うことが不明の時、遠慮は不要だ、すかさず質問する。結果、意味が理解出来た時は幸せだ。外国の地方都市の小さなレストランで、骨付き肉や一匹丸ごとの魚料理を上手に綺麗に食べ尽くした時のウエイターやシェフがわざわざ出てきての誉め言葉に幸せを感じる。
僕の外国旅行は一人の事が多い。荷物は機内に持ち込めるキャリーバッグとショルダーバッグだ。空港の手荷物受取回転コンベアの前で待つ時間が勿体ない。スペインの地方都市から更に田舎に旅した折、一日一便のバスは既に出たあと。客待ちのタクシーもなし。バルのボスに相談し知り合いのハイヤーを呼んでもらった。電話のやり取りの中で僕のことを“小さなバッグを持った人だ”と表現した。東洋系の顔だとは言わない気遣いの出来る人に会えた幸せを感じたことがあった。
多言語話者でありたい。中学校から現在まで、英語は避けて通れなかった。英会話教室には随分長く通った。フランス語教師に発音の悪さを指摘され、腹が立って1か月で止めてしまったこともあった。スペイン語は現在も継続している。多くの教師に接した。ブラジル生まれの女性教師はポルトガル語、スペイン語、フランス語、イタリー語、英語を其々の生徒に教え、日本に来て日本語の習得が最も難しかったと言うが、現在はストレスなく喋り、自身の子供のPTAの役員もこなす。
別の、スペイン人の両親を持つ日本生まれの独身女性教師のレッスンは楽しかった。教室では日本語と辞書は用いないと約束した。彼女の母国語はスペイン語で、日本語もほぼ母国語として同列にある。両者ともに第一外国語は英語であるから、レッスンで不明な時には英語を用いることになるが、意味不明なことも多かった。しかし、互いに理解しようとする共通の思いに幸せを感じたことを思いだす。
彼女は突然に教室を去った。
結婚します。黙って去ることにごめんなさいという言づてが、後に間接的に伝えられた。
その頃通っていた英国の男性教師は同情し正調の英国英語で反応した。日本語にはない情の深さがあった。
#注:末期高齢のあぶない医者は著者のみを言う。
(令和8年9月号)