林 直樹
チェコ音楽の父といわれるベドルジハ・スメタナの命日5月12日に合わせて、毎年チェコの首都プラハで開催されるのが「プラハの春国際音楽祭」です。1946年に始まったこの音楽祭は、今年で80周年を迎えました。
開幕日には、スメタナの代表作である連作交響詩「わが祖国」を演奏することが、この音楽祭の伝統となっています。
今回、私は恒例のオープニング・コンサートを市民会館の「スメタナホール」で聴いてきました。ペトル・ポぺルカ指揮、プラハ放送交響楽団の演奏でした。さすが地元のオーケストラらしく、緻密でありながらテンポや表情の変化は自在で、時には表現に大胆さも取り入れた素晴らしい演奏でした。演奏後に起こった聴衆の歓声とスタンディングオベーションが長く続きました。
チェコの人々にとって「わが祖国」は、クラシック音楽の名曲としてだけではなく、自分たちの故郷、そして歴史、民族、記憶に深く結びついた特別な音楽であることを実感しました。またアールヌーボー様式のスメタナホールはとても美しく、音響効果も良好でした。
(この演奏はYouTubeでも視聴できますので、「プラハの春音楽祭 わが祖国」で検索してみてください)
指揮者のペトル・ポペルカは1986年プラハ生まれの40歳。コントラバス奏者としてプラハ放送交響楽団に入団。その後約10年間ドレスデン国立歌劇場管弦楽団でコントラバス副首席奏者を務め、2016年から本格的に指揮活動を開始。2022年にプラハ放送交響楽団の首席指揮者・音楽監督、さらに2024年からは名門ウィーン交響楽団の首席指揮者にも就任。同年7月の来日公演で披露した「わが祖国」が大きな話題になりました。2026年1月にはベルリン・フィルにもデビューを果たし、今やチェコを代表する若手指揮者としてヨーロッパの第一線に躍り出た逸材です。
さらに今回は、プラハ放送交響楽団創立100周年という二重に記念すべき演奏会でもありました。
1.「プラハの春国際音楽祭」の歴史と伝統
第二次世界大戦が終わって間もない1946年、戦争による苦難から解放されたチェコスロバキアで、音楽を通じて新しい文化の時代を築こうという気運の中から生まれたのが、この音楽祭です。
創設には、当時チェコ・フィルの首席指揮者だったラファエル・クーベリックが中心的な役割を果たしました。しかし皮肉にも2年後の1948年、「二月政変」によって共産党が政権を掌握すると、クーベリックは新体制に反発して国外へ亡命しました。
その後英国、米国、ドイツなどで活躍し世界的な指揮者になりましたが、長く故国の舞台に立つことはありませんでした。
しかし1989年、いわゆる「ビロード革命」によって共産党政権が崩壊し、チェコスロバキアは民主化へと進みます。
それを受けて音楽祭も様変わりしました。すでに第一線の指揮活動から退いていたクーベリックは、新大統領ヴァーツラフ・ハヴェルらの熱心な要請に応えて里帰りし、1990年5月12日、大統領臨席のもとで44年ぶりに「プラハの春音楽祭」に登場、チェコ・フィルを指揮して「わが祖国」を演奏しました。
この演奏は長い共産党支配を経て祖国に帰還したクーベリックと、自由を取り戻したチェコの人々との再会ともいうべき、今なお語り継がれる感動的な出来事となりました。
(この貴重な演奏も、リハーサル風景を含め、YouTubeで視聴することができます)
また作曲家・指揮者として有名なレナード・バーンスタインも、まだ28歳だった1946年、第1回のこの音楽祭でヨーロッパ・デビューを果たしました。プログラムはガーシュウィンや、自作の「エレミア交響曲」等というアメリカ音楽を中心としたものでした。翌1947年にも出演しましたが、その後共産党政権下のチェコスロバキアとの関係を断ちます。
そして1990年、バーンスタインもまた熱狂をもって迎えられ、同音楽祭の締めくくりとして、6月2日と3日にチェコ・フィルを指揮してベートーヴェンの交響曲第9番を演奏しました。第4楽章でFreude(歓喜)をFreiheit(自由)と歌わせた演奏は、民主化を祝う歴史的一幕となりました。しかし同年10月に死去したため、バーンスタインにとってヨーロッパでの最後のコンサートになってしまいました。
こうしてクーベリックとバーンスタインという二人の巨匠が、1946年と1990年に奇しくも「自由になったプラハの春」で再び結びついたことは、この音楽祭の歴史を決定づける象徴的な出来事となりました。
2.べドルジハ・スメタナ(1824~1884)の音楽
スメタナが生きた19世紀のチェコは、オーストリア帝国の支配下にありました。チェコ語の使用が制限されドイツ語が強制された時代において、スメタナは自分たちの言語や文化、歴史を語る人々と親交を深め、チェコ民族の文化的自立を強く願うようになりました。
ボヘミアの民族舞曲を採り入れたオペラ「売られた花嫁」、チェコの伝説的な女王を主人公とした祝典オペラ「リブシェ」などを作曲し、チェコの民族的アイデンティティを音楽によって表現しました。
しかし、40歳を過ぎた頃から難聴に悩まされるようになり、公職を退いて作曲活動に専念したものの、50歳を迎える頃には完全に聴力を失ってしまいました。
それでも不幸がスメタナの卓越した才能や、民族に捧げた崇高な精神を押し潰すことはできませんでした。連作交響詩「わが祖国」(注1)をはじめ、名作として知られる弦楽四重奏曲「わが生涯より」(注2)などの室内楽、数曲のオペラ、魅力的な「ポルカ」(注3)を含む数多くのピアノ曲などを精力的に作曲しました。
なかでも「わが祖国」は6曲からなり、ボヘミアの伝説、自然、歴史などを描いた作品群です。とりわけ第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」が最も有名であり、単独で演奏される機会も多いのですが、全6曲を続けて聴くことによって、単曲では味わえない作品の壮大な構想と魅力に触れることができます。
第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」:プラハを見下ろす古城と、そこにまつわる古い伝説
第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」:二つの小さな流れが一つになり、やがてチェコの大地を悠々と流れる姿
第3曲「シャールカ」:古代伝説に登場する女戦士の物語
第4曲「ボヘミアの森と草原から」:豊かな自然への讃歌
第5曲「ターボル」・第6曲「ブラニーク」:15世紀フス派の歴史と、チェコ民族の抵抗と希望の記憶
を描いています。
スメタナ以降のチェコ国民音楽は、ドヴォルザーク、フィビヒ、スーク、ヤナーチェク、マルティヌー等へと近代化しながらも脈々と受け継がれていきました。
3.もう一つの「プラハの春」
1968年にチェコスロバキアで行われた自由と民主化を目指す社会主義改革運動も「プラハの春」と呼ばれます。
共産党第一書記アレクサンデル・ドゥプチェクのもとで、「人間の顔をした社会主義」を掲げ、言論や報道の自由などを拡大しようとしました。しかしソ連指導部は、これを社会主義体制への脅威と判断し、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻。改革は武力によって挫折させられました。
この1968年の「プラハの春」と音楽祭の「プラハの春」は本来別のものですが、チェコの人々にとってどちらも「自由と民主化を希求する象徴」になったことは間違いありません。
そして1968年の侵攻以降、「わが祖国」は祖国と自由を象徴する音楽として、いっそう特別な意味を持つことになりました。
4.「ビロード革命」と「汎ヨーロッパ・ピクニック」
「プラハの春」から21年後の1989年、東欧では社会主義体制が次々と崩壊し、チェコスロバキアでも同年「プラハの春」の掲げた自由への理想が新たな形で結実しました。激しい流血を伴うことなく平和的に政権移行したことから、この変革は「ビロード革命」と呼ばれています。
今回私が宿泊したホテルはプラハのヴァーツラフ広場に面していました。1989年11月、数十万人規模の市民がこの広場で行われたゼネストに結集しました。ホテルの数軒先にあった航空会社「アエロフロート」のプラハ支店は、当時ソ連の諜報活動の拠点といわれ市民によって襲撃されたそうですが、今は皮肉にも「マクドナルド」の店舗になっていました。
現在では市民や観光客で賑わい、イベントの屋台や音楽があふれるこの広場が、わずか37年前には人々が自由を求めて立ち上がった歴史の舞台だったと思うと、非常に感慨深いものがあります。
旅の途中、5月17日にはモラフスキー・クルムロフ城にてムハ(ミュシャ)作の「スラヴ叙事詩」に再会しました。2017年に東京の国立新美術館で開催された「ミュシャ展」で鑑賞して以来、再びその巨大な作品群と向き合うことができました。
さらに5月19日には、ハンガリーのオーストリア国境沿いの町ショプロン近郊にある「ヨーロッパ・ピクニック計画記念公園」を訪れました。
1989年8月19日、国境ゲートが象徴的に一時開放され、東ドイツ市民数百人が西側へと脱出した歴史的な場所です。国境警備兵までもが脱出を援助するほどになり、この出来事は「鉄のカーテン」に大きな穴を開け、同年11月の「ベルリンの壁」崩壊へ繋がる大きな転機の一つとなりました。
1980年代後半、東欧には目に見えない政変の波が脈打っていました。ハンガリーでは改革が進み、1989年4月には駐留していたソ連軍の撤退が始まり、5月にはオーストリアとの国境の鉄条網が撤去されました。この8月19日の「汎ヨーロッパ・ピクニック」以降、一気に脱社会主義化への流れが加速したのです。当時41歳だった私は、ニュースなどで胸を熱くした思い出があり、その場所を自分の足で訪れることができたことに、同じ時代を生きた一人として強い感動を禁じえませんでした。
5.おわりに
「プラハの春国際音楽祭」ではチェコ国内だけでなく、世界各国の音楽家が演奏を行っています。
2024年5月12日にはベルリン・フィルが首席指揮者キリル・ペトレンコの指揮でオープニング・コンサートの「わが祖国」を演奏しました。音楽祭の主催者側も「チェコ音楽が外国の演奏家によって演奏されることで、真に世界の音楽になる」という趣旨の説明をしています。
スメタナが聴力を失いながらも作曲した「わが祖国」。毎年演奏されてはいたものの、1990年ラファエル・クーベリックが自由を取り戻したプラハで指揮したあの奇跡の演奏を経て、2026年に80周年を迎えた音楽祭にて、私はスメタナホールの客席でその音楽に包まれることができました。
音楽を通じてチェコの歴史と、そこに生きた人々の精神や情熱に触れる、忘れがたい体験となりました。
お勧めのCD・LP
注1:連作交響詩「わが祖国」
ラファエル・クーベリック指揮チェコ・フィル
[スプラフォン(タワーレコード)TWSA1147]
ペトル・ポペルカ指揮プラハ放送交響楽団
[スプラフォンSU4379(LP2枚組)]
注2:弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」、第2番
パヴェル・ハース四重奏団
[スプラフォンSU4172]
注3:ボヘミアの思い出~ポルカ集
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)
[テルデックWPCS10114](廃盤)
配信サービスで入手できる場合があります




(令和8年9月号)