清水 敬三
「蛇を見たら、何も考えずにまず踏め」。私は孫たちにそう言っている。もちろん、実際に蛇を踏めという話でもない。
山であれ日常であれ、蛇は“潜在的な恐れ”の象徴だ。動きは俊敏で、迷えば逃す。見なかったことにすれば安全かもしれない。だがしかし、「まず踏め」。考える前に動け、という意味だ。
人生には、蛇のような瞬間がある。やるべきか、やらざるべきか。その問いが頭をよぎる時点で、すでに一歩遅れている。未知のものに遭遇したとき、とっさの判断が求められるとき、反射的にでも一歩踏み出せるかどうかにかかっている。
新潟島の松林に蛇はいないだろう。でも子供たちと松林に入る前には“あっ蛇”と互いに言い合って踏みつける動作をシミュレーションする。これまでの“戦果”は、トカゲ数匹としっぽ一本。
先日、その松林を歩いていたときのこと。前を行く子供たちが「蛇いた!」と叫んだ。私は思わず「踏んだか?」と返す。「逃げた。あっち」と指さす声に、「任せろ」と言いながら、気がつけば子どもたちを押しのけて藪へ突っ込んでいた。結局、蛇の姿は見なかった。興奮した子供たちと「やっぱりいたね」と言いながらもいきなり少年に戻った自分が少し恥ずかしかったし子供たちの目にどう映っていたか心配になった。
今になって思い出してみるとあの瞬間は、もっともらしい覚悟や大切にしている子供たちの事も一気に吹っ飛んでより根源的で、ほとんど野生に近い衝動だったのではないかと感じている。
自分の中にある未知との遭遇に驚いた。
川柳
まず踏めば 少年いまだ 棲みにけり
(令和8年9月号)