小田 弘隆
昭和51年医学部3年生時に神戸大学医学部解剖学の出口史郎教授(当時)の特別講義を受ける機会を得ました。そのタイトルは忘れましたが、講義は仏像の美術鑑賞で、古代ギリシャからローマ時代の彫刻と比較しながら日本の仏像美術が如何に優れているかをスライドを用いて教えて頂きました。先生の専門が組織学のため全てのスライドが鮮明で、その仏像のお顔の優しさや厳しさ、躯幹形や足元に伸びる衣の流線の美しさが印象的でした。そして和辻哲郎の『古寺巡礼』を読み、ますます古寺を訪れたいという気持ちに駆り立てられました。
4年生の春休みには、私は大阪茨木市の従兄の家をベースにJRと近鉄を乗り継ぎ、待望の奈良の古寺をバスと徒歩で5日間かけて巡りました。法隆寺、法起寺、中宮寺、唐招提寺、薬師寺、興福寺、東大寺、浄瑠璃寺、岩船寺で、多くの如来、菩薩、明王・天部、羅漢・高層像に会い、自分の感性で高揚感、また安堵感を抱かせてくれる仏像を楽しみました。医師になってからは観光で京都・奈良を訪れる機会はありませんでした。
平成14年、家族旅行で、国宝を見て日本の文化を知るという名目で、小5の長女、中1の次男、高1の長男と妻を強引にも、私の好きな京都・奈良の名刹古寺へ連れて行きました。レンタカーとタクシーでの移動であったためか、また、私の俄かガイドの説明が良かったのか、私に文句を言う子もいませんでした。残念ながら唐招提寺の金堂が改修工事のため、見せたかった千手観音を見ることができませんでしたが、何よりも次男が京都の三十三間堂の千体の千手観音を見て、からだ全体で踊るように喜びを表したことに安堵しました。
その子供らも独立し、昨年3月に病院より30年勤続でリフレッシュ休暇3日間を頂き、妻と奈良の古寺を訪れました。14日の午後2時過ぎに奈良に入り、先ずは手近で行ける東大寺にホテルから歩いて行きました。かつてと同じコースで東大寺の南大門で運慶・快慶の仁王像(金剛力士像)を見て、伽藍中央の大仏(廬舎那仏)を拝観し、その後、不空羂索観音像がある法華堂(三月堂)に歩きました。緩やかな坂道を進み、三月堂に来た時に二月堂の周りにかなりの人だかりが見えました。先ずは三月堂、そして急な斜面に建てられた二月堂に行きますと西正面斜面に大勢の人が立っており、その人垣でできた小径を歩いて堂内に入りました。入るとこの日がお水取りのお松明の日だったことが分かり、運をつかんだような気持ちになりました。時計を見ると行事開始の6時半まで2時間半以上あり、小腹もすいていたので、二月堂の直ぐ横にあった休憩所に入りました。この店の出汁のきいたきつねうどんは絶品で、二人とも驚きとともに満足し、体も温まりました(お水取りの期間限定の営業ですのでご注意を)。登廊を下り、人ごみをかき分けて西正面中央の急な斜面に辛うじて二人分のスペースを見つけて辿り着きました(写真1)。そして、寒い中で足踏みしながら二時間待ちました。松明は私たちが下ってきた登廊を上がり(写真2)、長い竹竿の柄の赤く燃えた松明は一人の運び手によって堂の回廊を向って左から右に進み(写真3、4①、4②)、合計10本の松明が並びました。そして、運び手は一斉に松明の柄を回転させて火の粉を飛ばしました(写真5)。その幻想的な、そして、この行の持つ神秘性に心を打たれました。期せずしてこの日に来られたことを感謝し、帰りは暗い下り坂を人の流れにのって足速にホテルに帰りました。翌日もいくつかの寺院を回り、妻に唐招提寺金堂の千手観音を見せることができましたが、どうも廬舎那仏を気に入ったようでした。私は詳しい仏像の知識はありませんが、拝観のゆっくりと時間が流れる中で心癒される気持ちが心地よく、次回の古寺巡礼に思いを馳せる日々を過ごしています。
写真1:西正面中央の急な斜面より堂を見る
写真2:1本目の松明が左手の登廊を上がる
写真3:1本目の松明が回廊に上がる
写真4①と②:1本目の松明が回廊を左端から中央、そして右端に移動
写真5:並んだ10本の松明より火の粉が一気に飛ぶ(火の粉を浴びると縁起が良いとのこと、堂下には消防隊が控えていました)
(令和2年4月号)