阿部 行宏
現在日本は高齢社会・人口減少社会の真っただ中である。それは今まで日本においてまた、世界においても経験のない現象であり、今までの人口増加を前提とした対応から減少を前提とした対応への切り替えが必要になっている。考え方を大きく変えないといけない時代に我々はいる。答えのない中でより良い結果を求めて進んでいかないといけない状況である。
その中で、認知症患者は2025年には700万人になると推計されており、認知症対応が問題の一つといえる。国は認知症に特化して平成24年認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)を策定したが、5年たたずに平成27年認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)を計画し厚生労働省のみならず12省庁が横断的に対応することが求められた。さらに令和元年に認知症施策推進大綱が策定され「認知症の発症を遅らせ、認知症になっても希望をもって日常生活を過ごせる社会を目指し、認知症の人や家族の視点を重視しながら『共生』と『予防』を車の両輪として施策を推進」とうたっている。
認知症の何が問題なのであろうか? 認知症は生活が破綻する病であり、かつその破綻は緩徐に進行しているため、症状が強くなってからでないと周囲が気付きにくいことにある。
我々医師はこの病に対しやや目を背けてきた感は否めない。その理由は単に医療を行うだけで対応ができるものではないこと、さらに本人の意思の確認が徐々に難しくなることがあげられる。他の多くの疾患は、医療で何とか対応できた。生活指導、内服治療、手術、リハビリなどで治癒にはならないが治療し改善に向けられることが多かった。また、がんにおいても治癒はしないが治療はあり、さらに治療できなくなっても緩和ケアとして医療の関与で対応できていた。最終段階に近づくにつれ介護との連携が必要となっていたが時間は全体の中では短い。
認知症は生活が徐々に破綻し、残念ながら薬物治療による劇的な改善は見込めていないのが現状である。そうなると生活を支援し、環境を整備し、他者との交流を促すことにより現状維持もしくはやや改善するよう努めることが求められる。
地域における医療の要であり、身近な窓口として「かかりつけ医」の考え方を日本医師会では推奨している。我々医師はその「かかりつけ医」としてどのように認知症と向き合うことが必要なのであろうか?
認知症がコモンディジーズとなった今、以前研修医の時に言われた「女性を見たら妊娠を疑え」と同じように「高齢者を見たら認知症を疑え」と思って対応することが必要なのではないであろうか。各医師にはそれぞれ専門があって開業に至ることが多い。その専門ではない認知症を診ることに壁を感じられることもあるかと思う。ただ、すべてを各医師が行う必要はない。まず疑い、必要があれば専門医に紹介して診断してもらい、安定していればかかりつけ医が経過観察を行っていき、BPSD(Behavioral and Psychological Symptom of Dementia, 認知症周辺症状)の出現や認知症自体が悪化したら改めて専門医に紹介して対応を検討して頂くという流れを作っていく必要がある。生活背景が見えない場合には包括支援センターやケアマネジャーに連絡して見に行ってもらうことも可能である。受診に結びつかない場合には認知症初期集中支援チームによる関与も検討が必要である。
また、認知症では生活支援が欠かせないが、そこには介護との連携が欠かせなくなる。医療と介護の間には大きな壁があるといわれて久しい。その壁は同じ患者を診ているが、医療目線と介護目線の違いによるものが大きいと考える。患者、およびその家族の生活をよりよくしていこうという気持ちはお互い同じであろう。ただアプローチが違い、利用する言葉が異なるため、かみ合わなくなることが壁としてあると思われる。その壁を解消するためにはお互い顔の見える関係性作りに始まり、ICT(Information and Communication Technology, 情報通信技術)ツールによる情報共有が重要である。私も地域において「山の下ねっと」を運営しているが、各地域において顔の見える関係性を作る会は新潟において多く存在している(新潟市にしかこんなに多くの連携の会が存在していないことは、新潟市の宝だと思っている)。そのような場にまず参加してみてはいかがだろうか? 壁はまだあるかもしれないが低くはなりそうである。ICTツールにおいても新潟市では「SWANネット」の利用を推進している。参加されていない方も多いと思うがお互いの顔が見えてきた方にとっては利用をお勧めする。情報が早くなり、言葉だけでは伝わりにくいことも映像により伝わってきたりする。病院への搬送があった際にも事前に登録していることにより現在の処方、検査結果、本人の考え方がより詳細に速く伝わるであろう。今年度から初期設定費用がなくなりランニングコストのみとなった、試用期間もあるというので連携先とともに試用してみてはいかがであろうか?
そして認知症の人に限らず人は必ず死を迎える。他の疾患は死期が近くなってもその時どう迎えるか話し合える時間があることが多い。認知症はすぐ先に死があるわけではない、しかし経管栄養まで行う? 自宅で看取る? 施設もいい? 誤嚥したらどうする? その時救急車は呼ぶの? など確認したいことは多いが本人に決められるだけの判断力が無くなっていることが認知症の難しさの一つである。その解消には家族・介護も含めた現状の確認とお互いの思いをまず理解し、そのうえで先を決めていく必要がある。医療が一方的に決められる問題でもなく、家族・介護もしかりである。この作業を行うことがACP(Advance Care Planning)である。ACPとは「一歩先のケアを考える」ことであり、その一歩一歩の先に看取る時が来ると考える。
認知症に対しとりとめもなく書いてきたが、このような現状の中、新潟市医師会において認知症委員会が7月13日に初開催された。多くの課題があるが地域においてより良い認知症対応ができ、医療と介護の壁が低くなり、連携がスムーズになることによって、ひいてはより良い看取りができる環境となることを願っている。
(令和3年8月号)