山口 雅之
コロナ感染が広まってから、国内学会は開催中止かWeb開催を余儀なくされていました。本年4月の日本眼科学会総会はハイブリッドで行われていましたが、7月の日本白内障屈折手術学会から現地参加のみで開催されるようになっていました。しかし、オミクロン株の感染拡大を受けて、9月以降の学会は再びハイブリッドで開催されます。
国際学会の多くも2020年は開催中止となり、2021年からはハイブリッドで開催されていました。本年9月にイタリアのミラノで開催されたESCRS(欧州白内障屈折矯正手術学会)に3年振りに参加してきました。今回もハイブリッドでの開催でした。
日本ではコロナ感染予防の水際対策で、出国の72時間前までに現地でPCR検査を受け、陰性証明書が発行されなければ帰国便に搭乗できないルールになっていました。イタリア在住の知人に日本の書類の作成に慣れているクリニックを紹介してもらって、72時間前までに検査を受ける予定にしていましたが、出発直前の9月7日に72時間前ルールが廃止になりました。万が一PCR陽性となれば、現地に1週間以上足止めをされるところでしたので、帰国時のストレスがなくなった状態で出発することができました。
ロシアのウクライナ侵攻の影響で、欧州への航空便はロシア上空を飛行することができません。ANAブリュッセル便は、米ソ冷戦中と同じアラスカから北極海を横切る北回りルートでのフライトでした。今の航空機は航続距離が長いので、以前のようにアンカレッジで給油する必要はありません。ロシア上空を通れば欧州には11時間で到着しますが、距離が伸びたため13時間のフライトになりました。
日本での報道では欧州でのマスク着用率は数%とのことでしたが、ミラノの街中でマスクをしている人を見かけることはほとんどありませんでした。公共交通機関内はマスク着用となっていますが、マスクをしているのは半数ぐらいです。学会の会場内でもマスクをしているのは、アジアからの参加者ぐらいでした。国際学会では様々なセッションがあり、小さ目の会場も使われます。満員となっている小さな講演会場内でマスクをしないで座っていると、マスク越しに呼吸をしているよりも息苦しく感じてしまったのは日本人だからでしょうか。
会場にいると、まだコロナ禍であることを忘れてしまうような状況でしたが、学会規模は縮小されており、コロナ以前の3分の2程度の内容でした。いつもは日本からの参加者も多い学会ですが、今回は数名にしかお会いしませんでした。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に「最後の晩餐」を見に行った際に、入り口で友人にばったり会ったのには驚きましたが。欧州の演者は現地で講演されていましたが、アメリカからWebで講演をされた演者もいらっしゃいました。機械展示でも今回は参加していないメーカーが何社かありました。企業活動的にはまだまだコロナの影響は大きいようです。
帰国便への乗り継ぎのため、イタリアからパリ・シャルル・ド・ゴール空港に到着して間もなく、ターミナル内に大きな警報が鳴り響きました。フランス語の後に英語で「ミサイル警報が発令されたので、ターミナルビルの外に避難するように」とアナウンスが流れました。すぐに免税店のシャッターも下ろされ、乗客、職員が一斉にターミナルビルの1階へ移動を開始しました。不思議なぐらい何の混乱もなく、まるで避難訓練のようにみんなが整然と避難していくことに驚かされました。セキュリティーチェックの横の通路からロビーに出たところで、セキュリティーチェックのシャッターも全て閉まりました。30分ほどで警報は解除され、再びターミナル内に戻ってセキュリティーチェックを受け直しました。日本では北朝鮮のミサイル発射でJアラートが発信されても、だれも避難しようとはしないでしょう。欧州は戦時下であることを実感させられた事件でした。帰りのフライトはやはり米ソ冷戦時代と同じ、中央アジア上空を通る南回りルートで、飛行時間は13時間でした。
日本入国時にMySOSというアプリをスマートフォンにインストールしておくと、ファストトラックを利用して検疫をスムーズに通過できるとの案内が厚労省から出されていました。アプリに必要事項を入力して、パスポートとワクチン接種証明書の画像を取り込んで申請します。センターで承認されると、アプリの画面が自動的に赤から青に変わり、入国時に空港での検査が不要となります。このアプリがあれば今まで通り簡単に入国できるのかと思っていましたが、現実は違いました。羽田空港で航空機から降りると、アプリが青の乗客と、赤、またはアプリを持っていない乗客に分けられて長い通路を延々と歩かされました。その間何回もアプリが青であることをチェックされ、最後の部屋で、アプリに表示されるQRコードをスキャナーで読み込んで検疫手続きが完了しました。手荷物受け取り場に着いた時には、すでに手荷物がターンテーブルを回っていました。
日本ではまだアフターコロナといえるような状況ではありませんが、3年振りに国際学会に参加できて、ほんの少し今までの日常が戻ってきた感じがしました。3年のブランクの間に、欧米での手術の方向性が変化していたことにも驚かされました。コロナ禍でも医学は休むことなく進歩しています。
(令和4年10月号)