田中 申介
私は、令和6年6月28日をもちまして新潟市医師会(以後、医師会)理事を退任いたします。丁度本誌が皆様のお手元に届く頃と思われますので、退任にあたり一言ご挨拶を申し上げます。
平成28年3月15日の夕刻、外科の大先輩である中村康夫先生から「今度、医師会の理事をやってくれないかな」との電話がありました。口調はやさしいのですが、外科語に翻訳すれば、「医師会の理事をやれや」という一種の命令です。外科のようなヒエラルキー社会においては、先輩の命令にNOという選択肢は存在しないため、私は反射的に「は?はい、わかりました」と返事をしてしまいました。こんな話、若い先生方は信じられないでしょうが、年配の先生方にとっては「ある、ある」だと思います。私が外科に入局した40年前は、働き方改革などという言葉はこの世に存在せず、先輩から「外科医の生活は月月火水木金金だ」などと言われていた時代でした。ということで、形式的には立候補という形をとり、平成28年6月27日の医師会定時代議員会において理事に選任されてしまいました。他の理事の方のように、医師会発展のため崇高な理想を掲げ、自ら積極的に理事選挙に立候補したわけではありませんでしたので、任重くして道遠しの心境でありました。ですが、これまで理事として医師会運営に携わってこれましたのは、ひとえに、医師会々員の皆様、医師会事務局の皆様、その他関係各機関の皆様のご指導、ご鞭撻のおかげであります。深く感謝申し上げます。
さて、理事就任時に当時の医師会長であった藤田一隆先生より、理事としての責任を果たすためには「個の充実」が重要であり、そのためにはどうあるべきか、いくつかのことをご指導いただきました。長いような短いような8年間でしたが、個を充実させることはできたのでしょうか。振り返ってみます。
理事としての心構え「個の充実」
その1.「自身の健康管理に気を配ること」
そもそも、自らが健康でなければ仕事はできないということです。理事に就任してからは毎年人間ドックを受けてきました。幸い今のところ、直ちに生命に危険を及ぼすような疾患は見つかっていません、と自分なりに解釈しています。ですが、毎年人間ドックが近づいてくると何故か憂鬱な気分になりました。それは、健康であることが当たり前だった年齢をとっくに過ぎているからです。そんな時は、お酒で気を紛らわせてきました。これって健康管理になっていたのでしょうか?
その2.「あくまでも日常の診療活動が第一であり、理事の仕事を理由に診療活動を疎かにしないこと」
会議の開催時間の都合で、やむを得ず休診にしたり、診療時間を短縮したことはありましたが、診療活動が疎かになったことはありませんでした。何故なら生活のため日銭を稼がなくてはならないので、休診は出来るだけ避けたかったからです。
その3.「会議では必ず発言すること」
会議はオブザーバーとしての参加ではなく、意思決定の当事者として参加せよということです。会議には常に問題意識を持って臨み、可能な限り発言するよう心掛けました。しかし、予算計画理事会においては全く発言できませんでした。予算計画書には普段見慣れている数字とはあまりにも桁が違う数字が並んでいて、会計担当理事の説明に私の理解力のスピードが追いつけませんでした。ですが、監事のOGS先生は誰も気づかない問題点を、いつもズバッと指摘されていました。ただただ敬服するばかりでした。
その4.「今後2年間(任期が一応2年間?)理事として継続した努力をし、医師会を発展させるための戦力となること」
継続した努力とは?理事会や各種会議には可能な限り出席したので継続はできたと思いますが、それが努力の内に入るのでしょうか。本来は担当部署(私の場合は救急医療部)関連の問題点を見つけ出し、それを改善するための具体案を常に考え続ける、ということが努力をするということだと思います。ですが、問題意識を持っていても、具体案提示となると一開業医の立場ではむずかしい、と感じていました。実務的には、新潟市地域医療推進課に頼り切っていた部分が多々ありました。救急医療分野では、主役はあくまでも病院の先生方ですので、医師会の立場としてはコーディネーターの役割しかできませんでした。ただ、救急医療体制の維持のためには医師会員一人一人が各自の持ち場でその役割を果たすことが必要です。そのためのお手伝いを医師会がしている、という認識はありましたので、少しは努力していたのかもしれません。
それから、医師会を発展させるということですが、正直なところ、当初は医師会の発展という意味がよくわかっていませんでした。ですが、ここ数年のコロナ禍における医師会の活動を通して、医師会の発展とは次のようなことではないかと、考えるようになりました。医師会の発展=医師会が専門家集団の組織として社会に貢献し続けること。つまり医師会員一人一人が医師としての矜持を持ち、医師なら当たり前のことを、当たり前に行うこと。その結果として、医師会が発展するのだと。市民目線から見れば、医師会が各種検診や救急医療体制の整備・充実を図り、尚且つ新興感染症まん延時に適切な対策をとることなどで、市民の健康を守り続け、今以上の頼れる存在になるということ。医師目線からは、医師会の諸活動による結果として、社会及び関係各機関に対しての医師会の発言力が増し、そのことで医師会員の生活の質向上がもたらされる、ということでしょうか。
以上、簡単に総括してみましたが、8年経っても理事の仕事が面白い、という境地には到達できませんでした。やはり任重くして道遠しのままでした。理事会で以前私の隣の席だったOTK先生は、毎月理事会で顔を合わせる度に「会議は楽しいね」とおっしゃっていました。「さすがです」としか言い様がありません。今後は一医師会員として、微力ながら医師会発展のためのお手伝いができればと思っております。
最後に、コロナ禍の真っ只中で、敵前逃亡することなく共に戦った、浦野正美医師会長をはじめとする医師会役員の先生方、医師会事務局の皆様に心より感謝申し上げますとともに、今後の医師会の益々のご発展をお祈りいたしまして、退任のご挨拶とさせていただきます。
(令和6年6月号)