山口 雅之
まだ一般家庭には電話もテレビも自家用車もなかった時代に幼少期を過ごした自分にとって、アメリカは憧れの国でした。幼稚園の頃、ようやく我が家にテレビがやってきてアメリカのホームドラマが見れるようになり、ドラマの中に出てくるアメリカの一般家庭の生活を羨望のまなざしで見ていました。特によく覚えているのは1966年から放送されていた『奥さまは魔女』です。当時日本では「三種の神器」家電と言われていた、冷蔵庫、洗濯機、テレビが普通に家庭にある映像に衝撃を受けていました。
医者になってからは、アメリカは最先端の医療技術を教えてもらえる憧れの地になりました。AAO(American Academy of Ophthalmology 米国眼科学会)とASCRS(American Society of Cataract and Refractive Surgery 米国白内障屈折矯正手術学会)の会員となって、毎年のように渡米するようになりました。日本の学会では禁止されている会場内でのスクリーンの撮影も海外の学会では自由にできます。講演の中の手術ビデオを小さな三脚を立ててビデオカメラで撮影していても、とがめられることはありません。最初は8mmビデオテープでしたが、次にmini DVDからHDへと記録媒体は変化しました。今では iPhoneで簡単に撮影しています。スライドがかわるたびに聴衆が一斉にスクリーンにスマホを向けるのは、海外の学会では普通のことです。
今年の4月にロサンゼルスで開催されたASCRSでは衝撃の光景を見ることになりました。参加者の数が異様に少なく、会場内の各セッションの部屋の中もガラガラだったのです。前回参加したサンディエゴでのASCRSでは見れなかった光景でした。みんなアメリカに行きたくなくなったのでしょうか?
以前からロサンゼルスでお世話になっているガイドさんにドジャース観戦に連れて行ってもらいました。エンターテインメントを勉強するために渡米してから19年ロサンゼルスに住んでいる女性のガイドさんです。別れ際に「今のアメリカに住み続けるのがしんどくなってきたので、岡山に帰って田舎暮らしをしようかと思っています」とボソッと言っていました。多く人にとって憧れの地だったアメリカはいったいどこへ向かっているのでしょうか?
(令和7年7月号)