新潟西蒲メディカルセンター病院
梨本 篤
1969年新潟大学医学部に入学し、サッカー部に入部しました。新潟高校でもサッカー部だったので、何の躊躇もありませんでした。当時の陣形はWM方式を採っており、最初はバックスに振り分けられました。センターバックがレギュラーポジションでした。1年生の時、8月に東京で開催された東日本医科学生総合大会(東医大)の初戦で順天堂大学医学部に1-0で勝利しました。この時の感動は今でも忘れられません。学年が上がるにつれて、フォワードへシフトし、最終的にはセンターフォワードで終了しました。医学部の6年間では盛岡市で行われた大会での準優勝が最高の成績であり、全医体も経験しました。
また、入学と同時に男子高校生に対して家庭教師のアルバイトを始めました。古町通り9番町のお宅であり、お母さんは美人でした。しかし、職を持っておられて忙しく、ゆっくりお話をする時間はなかなか取れませんでした。その代わりにおばあさんがいろいろと面倒をみてくださいました。家庭教師終了後に夕食を振る舞っていただいたり、世間話をしたりで楽しい時間を過ごさせていただきました。1971年9月に日清食品からカップヌードルが販売された時は、早速家庭教師後に食べさせていただきました。当時、お湯をかけただけで食べられることには驚きでした。さらに3分間でできあがり食べられる割には大変おいしかったことが懐かしく思い出されます。また、時々割烹金辰の姉妹店である近くの「茶はん」に連れて行っていただきました。「茶はん」は「揚しんの店」として紹介されています。当時の県知事や芸者さんも来店されており、何度かお会いしました。揚しんとは、海老のすり身、玉葱、魚のすり身、山芋を練り合わせて片栗粉をまぶし油であげたものです。今まで食べたことのない食感であり、おいしくて感激しました。単品での提供の他にセットメニューもあり、現在も時々訪れています。他にもギンダラのみそ漬、竹の子揚出し、めかぶの酢物、口細の塩焼など日本料理のメニューが豊富にありました。当時は板前さんが複数人いて、美人の女将さんが切り盛りしていました。
息子さんは無事に現役で上智大学に入学することができました。東京での4年間の大学生活を無事に終了後、ふるさとの新潟に帰ってきて就職しました。お互いになかなか忙しくて時間が取れないのですが、工夫しながら今でもお付き合いを続けています。
最近は、万代地区や新潟駅周辺が栄えており、古町は少し寂しくなってきています。冬の新潟には好都合であった地下街も老朽化のため利用できなくなってしまいました。寂しい限りです。しかし、古き良き新潟の雰囲気を感じられるのはやはり古町です。応援を兼ねて、今でも時々家族および友人と古町を訪れています。
