浅井 忍
上京するときはもっぱら9時頃出発の新幹線に乗ることにしている。東京駅で東京メトロ丸ノ内線に乗り換え、淡路町駅A3改札口を出てみずほ銀行の方に向かい路地に入ると、いかにも老舗の蕎麦屋らしい古い日本家屋があって、それが神田やぶそばであった。過去形なのは、今年の2月19日に出火し店舗を半焼したからである。現在再開に向け建築中である。建物は変わっても、料理や客への応対は変わらないだろうから、再開した暁にはまた伺うつもりだ。
蕎麦屋のフロア係を花番という。黄緑色の清潔そうなエプロンを着けた花番たちを統括するタレントの岡本麗にそっくりのオバさんは只者ではない。フロアの全域に目を光らせ、客の動きを見逃さず瞬時に対応するから、他の花番たちはうかうかしておれない。花番たちは皆なキビキビした動きである。なにせ80席もあり、いつも流行っているそうだから、それをさばくには軍隊のような厳しさなくては統率が取れない。注文が入ると、「せいろ3枚ぃぃぃ~」と百人一首の読み手のように語尾を伸ばした口調で、注文を厨房に伝える。「いらしゃいぃぃぃ~」と客を迎い入れ、「ありがとう存じますぅぅぅ~」と一風変わった挨拶を客に投げかけるので、由緒ある蕎麦屋らしい雰囲気が漂よっている。
おすすめの一品は、五菜盛である。蕎麦ずし、キュウリに練りみそ、そのほかに季節の旬の食材が加わる。春であれば、こごみとふきのとうの天ぷら、ホタルイカに酢味噌、そら豆、それに紅ショウガが、冬であれば、ワカサギの天ぷら、牡蠣の南蛮漬け、ホタテの照り焼きなどが並ぶ。これを肴に、ビールや日本酒をちびちびやると、かつてこの店に足繁く通ったという池波正太郎になったような気分を味わえる。
そばはソバ粉10に小麦粉1の「外一」である。そばはやや緑色を帯びて、喉越し良好、汁はしょう油味が濃く甘め。ひとことで言うならば、ここのそばはひとつ抜きん出た旨さがある。
そば湯が出てくるタイミングが絶妙である。そば湯はそばがなくなりかけるころ、「そば湯はまだかな」とソワソワするちょっと前に出てくるのが理想だとつねづね思っているが、ちょうどその頃に出てくる。
失火する10日前に伺ったばかりだった。いずれ再開するとの店主の話だが、東京都選定歴史的建造物に指定された風情ある建物はもう見ることができない。
神田やぶそば(現在建設中)
住所 | 東京都千代田区神田淡路町2-10 |
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