新潟市医師会 会長 藤田 一隆
“平成の大合併”を経て、平成19年に本州日本海側初の政令指定都市新潟が誕生してから10年、新潟市医師会にも多くの出来事がありました。今回、特集号を発刊し振り返ってみることにしました。
最初の合併は、平成13年1月1日、黒埼町から始まりました。その後、平成17年3月21日に近隣12市町村、同年10月10日に巻町が合併し、平成19年4月1日に政令市新潟が誕生しました。それに伴い、西蒲原郡医師会黒埼班、新発田市豊栄市北蒲原郡医師会豊栄支部、そして、西蒲原郡医師会と三市中蒲東蒲医師会の大部分が、新潟市医師会と合併しました。その都度、班構成も変遷しました。平成12年までは合計22班(地区班19と機関班3)であったものが、平成13年には合計23班(旧黒埼町会員入会)、平成16年には11班と12班が合併して合計22班となりました。その後、平成17年には合計23班(旧豊栄市会員入会)、平成18年には合計27班(旧新津市、小須戸町、横越町、亀田町、岩室村、西川町、味方村、潟東村、月潟村、白根市、中之口村、巻町の会員入会)と過去最多の班が誕生しました。その間の経緯の詳細につきましては、当時の医師会長であられた佐々木繁先生の寄稿文と本号に転載された3つの入会挨拶文を参照して頂きたいと思います。
黒埼班長として、最初に医師会移動を経験した当時の私の思いは、「大医師会への吸収合併」でした。行政の都合で、強制的に医師会移動を余儀なくされるという感覚が強かったように思います。集団検診から個別検診へ、集団予防接種から個別接種へ、介護認定審査会も“紙”から“パソコン画面”へ、休日診療当番制から急患診療センター出務へ、すべて“新潟方式”へと変更されました。「吸収合併される側」としての忸怩たる思いを胸に秘めながら、その1年後に新潟市医師会理事に就任しました。まさか、その数年後に「お迎えする側」になるとは夢にも思いませんでした。結果的には、黒埼班長としての経験が大変役に立ちました。異動してこられる先生方のお気持ち(不満・不安)を実感でき、地域医療部長として微力ながらお役に立てたのではないかと考えております。
巨大新潟市医師会誕生を前にして、佐々木会長(当時)は「区医師会は設けず、ひとつの医師会で運営していく」ことを明言されました。これは大英断であったと思います。他の政令市をみますと、市町村合併後も医師会は合併せず独立したままで、市全体の事業を行うにあたって苦労しているとの話を聞いています。今となっては、ひとつの医師会にまとまることはさらに困難であります。
次に大きな変革があったのが「公益法人制度改革」であります。平成18年6月に「公益法人制度改革関連3法」が公布され、平成20年12月1日に施行されました。これに伴い、すべての法人は、5年以内に一般社団法人、一般財団法人若しくは公益社団法人、公益財団法人へ移行することを義務付けられました。当会も平成22年から検討を開始し、平成25年4月、「一般社団法人」に移行しました。これを機に、定款の大幅な改定が必要となりました。当初は新定款案の中に「社員」や「社員総会」という文言が記載されていましたが、当会には馴染まないということで、今までどおり、「会員」、「代議員会」という表現を使用することにしました。会計処理方法も今までと全く異なった様式となり、役員一同困惑したことを覚えております。
振り返ってみれば、僅か10年余りの間に、様々な変化がありました。そして、そのスピードはさらに加速しています。当会も医療を取り巻くあらゆる情報を速やかに察知し、即座に対応すべく、日々努力していく所存です。
(平成29年11月号)