社会福祉法人新潟市社会事業協会 信楽園病院 院長 髙澤 哲也
私は、宮崎 滋前院長の後任として、平成30年4月1日付で信楽園病院の10代目院長に就任いたしました。当院は、昭和6年結核患者の静養施設「有明松風園」として開設されたのが始まりで、今年で創立87周年となります。昭和43年には、当時先進医療であった腎不全患者に対する透析医療を開始し、名称を信楽園病院に改め、今年50周年を迎えました。このように、伝統ある病院の院長に就任することとなり、責任の重さに身の引き締まる思いが致します。
私は平成元年5月に糖尿病・内分泌内科医として当院に着任し、まもなく30年目を迎えます。人生の半分をこの病院と共に過ごし、その間多くの諸先輩方にご指導頂き、同僚、後輩、職員の方々に支えられてまいりました。尚且つ、診療を通して大勢の患者さんやご家族の方々と接し、多くを学ばせていただきましたことに感謝申し上げます。この30年間で病院にもいろいろな出来事がありました。その中で、私にとっても病院にとっても最も重大な出来事は、12年前の病院新築移転だったと思います。それまであった有明地区から現在の新通地区へ移転しました。直線距離でわずか5kmの移転でしたが、このことにより病院は大きく変わったと感じております。
新潟市西区には、多くの病院があります。その中で、救急告示病院または二次輪番担当病院は5病院あります。この内ほとんどの病院は西区の中の東端付近にあり、当院もかつて同じ地域にありました。移転した結果、地図上では西区のほぼ中央、市街地地域と農村地域の境界に立地することとなりました。当院より西側には、西区はもとより西蒲区まで二次救急を担う病院はありません。今、国の方針として地域包括ケアシステム構築推進の流れが加速してきています。宮崎前院長が就任した4年前、当院でも地域包括ケア病棟を導入しました。当時の院長就任挨拶で宮崎先生は「病院完結型医療から地域完結型医療への転換を図る」との方針を打ち出しておられました。その後その方針に沿う形で「新潟市在宅医療・介護連携ステーション西第二」を受託し、在宅医療ネットワーク「西区赤坂ネット」の立ち上げに参加してまいりました。今後はこの流れをさらに加速し、この地域の地域包括ケアシステムの一翼を担う急性期病院としての役割を果たし、地域に必要とされる病院であり続けたいと考えております。これを実現していくためには、院内職員の協力のみならず、院外の医療・介護施設のスタッフの皆様との連携が重要と考えておりますので、ご支援よろしくお願い申し上げます。
近年、少子高齢化と国の財政難に伴い医療を取り巻く環境は厳しさを増しています。当院も新築移転以降、いまだ安定した病院運営には至っておりません。今後も決して楽観できない状況が続くことと思います。そのような中で、末永く地域に貢献できる病院となれるよう努力する所存ですが、決して私一人では達成できないことも承知しております。院内職員の皆さんと共に、さらには地域の関係者の皆様のご協力を仰ぎながら、信楽園病院を守り育んでいきたいと願っております。
(平成30年11月号)