新潟市急患診療センター長 山添 優
「急な病気やケガで困っている人の助けや支えになりたい、終末期には静かに看取ってあげたい」という救急医療と看取りは医の原点です。昔の医師は診療所が自宅と一緒で、時間に関係なく診察や往診・看取りを行い、住民に尊敬される赤ひげ先生でした。
時代は変わり、休日・夜間には休診する必要性が提起され、昭和36年に「本日休診」の標示板が医師会により配布されました。それ以後、日曜・祝日の休診が市民に浸透してきた一方、休日診療体制の必要性が高まり、5年程の検討を重ね昭和48年に「新潟市医師会休日診療センター」が開設されました。内科と小児科のみで日曜・祝日の9時~17時の診療でした。
その後、新潟市公設(新潟市医師会委託運営)の全国に誇れる8診療科体制の「新潟市急患診療センター(以下センター)」へ発展し、平成30年度の受診者は62,004人でした。
市民の安心安全に寄与する一方、将来の継続性を考えると盤石でなく、医師不足と医師の働き方改革、超高齢社会など多くの課題に直面しています。新潟県の医師不足は深刻で、厚労省による医師偏在指標では全国46位と最下位から2番目です。更に、県の医師不足数は2036年に1,540~1,969人(新潟医療圏では172~396人)と予想され、2016年の医師数が4,698人なので深刻な数字です。
出務医師が確保できなければセンターの診療時間を縮小せざるを得ません。また、医師確保が困難な病院で、肉体的・精神的負担が大きい救急医療からの撤退や二次輪番病院の返上が続けば、センターは存続できません。その結果、一般病院への一次患者の増加、救急搬送の受入先減少や“たらい回し”により新潟市の救急システムは破綻するかもしれません。
重症度に応じた一次~三次救急体制は、交通事故死が16,765人にも達した1970年頃の交通戦争時代には適していても、外傷救急から疾病救急に変わった超高齢社会の現在では限界がきています。救急専門でない医師が一次、二次の救急医療をこわごわと行い、医療紛争を恐れて専門外の診療を断ることもあるのが現実です。一次救急医療機関には、外来治療で帰宅可能な患者のみが受診すれば良いのですが、実際は、背部痛で整形外科を受診した患者が解離性大動脈瘤だったり、心窩部痛が急性心筋梗塞、じんま疹がアナフィラキシーでショックに陥ったりします。軽症に見えて実は重症だというケースを正確に診断できない、つまり、Advanced Triage(高度なトリアージ)が十分できないのが問題なのです。
昭和48年の開設当時は内科・小児科を標榜する診療所の医師全員が順番に出務していました。今後、センターを継続するにはできるだけ多くの医師が安心して出務できるER(Emergency Room)型救急システムの導入を検討する時期にきています。具体的には、一次から三次まで診療できるER型救急システムのある病院(または、その隣接施設)に順番に出務してウォークイン患者を診察し、必要時にはERドクターに直ちに相談できる体制が望ましいと考えます。
すぐには実現が難しいので導入までの間、トリアージナースの配置、電子カルテ・ITを用いた救急科専門医や各専門医による出務医師への強力なバックアップ体制(相談体制)をとることが必要と考えます。
藤田会長3期目のスローガンは「原点回帰」です。全国最悪の医師不足が予想されるなかで、超高齢社会を迎える新潟市の救急医療体制も原点に帰り検討すべき時期にきています。
(令和元年5月号)