国立病院機構西新潟中央病院 病院長 大平 徹郎
本年4月1日、病院長の任に就きました。よろしくお願い申し上げます。内山政二前院長の時と同様にご支援、ご指導を賜れればと存じます。
高校時代に大平正芳首相が誕生してからというもの、初対面の方に「おおひらと書いて、おおだいらと言います」と自己紹介する人生を歩んでいます。1986年に新潟大学を卒業した私は、同第二内科で荒川正昭先生、下條文武先生、鈴木榮一先生に師事したのち、1999年、当院に呼吸器内科医として着任しました。
歴史を紐解くと新潟市西区真砂に医療施設が創設されたのは、1941年に遡ります。当初は結核療養所で、初代院長は新潟医大第二内科の柴田經一郞教授(兼任)でした。劇的に診療内容が転換したのは半世紀後の1995年、県内3つの国立療養所が統合する形で、同じ真砂の地に西新潟中央病院が発足して以降です。
国立病院機構としての独立行政法人化(2004年)、7階建て新病棟の完成(2013年)、新潟医療技術専門学校・西新潟中央病院キャンパスの開学(2017年)を経て、全く新しい病院機能、外観、周辺環境に変貌を遂げました。
呼吸器疾患と神経難病─地域医療を担いグローバルな視点も
400床の当院は、3つの診療科(内科、小児科、整形外科)が新潟市の救急輪番に参加する「地域医療支援病院」です。地域に必要とされる病院として、呼吸器疾患と脳神経疾患(難病)を中心とした専門性の高い医療を展開しています。
呼吸器は、肺がん、アスベスト関連疾患、肺炎・肺抗酸菌症、間質性肺疾患、COPD、喘息、気胸、睡眠時無呼吸など、ほぼ全ての疾患が対象です。特に肺がんは、「がん診療連携の準拠点病院」として内科・外科・放射線治療、緩和ケア、在宅までの対応に取り組んでいます。
脳神経は、てんかん、パーキンソン病・ALSなどの神経難病、神経小児疾患、重度心身障害、さらには小児整形外科疾患の方々を診療しています。
全国に13施設しかない厚労省の「てんかん診療拠点病院」に認定され、患者さんは海外からも訪れます。2019年1月には当院を受診したロシアのお嬢さんが読売新聞サイトで紹介され、「Yahoo!ニュース」でも取り上げられました(「露の難病少女、新潟で原因判明」)。
6月18日夜 新潟・山形地震─地域社会の一員として
地震による病院機能や入院患者さんへの影響はなかったものの、あの晩、忘れ得ぬ光景に遭遇しました。津波を心配して次々と当院玄関を訪れる地域住民の方々の姿です。
当院では、幹部と近隣9自治会の会長さん方との懇談会を定期的に開催しています。東日本大震災から間もない頃、万一の地震の際は、海抜20mにある当院を津波避難所として使用したいと要請を受けました。真砂小学校区自主防災会との間で協定を結んだのが、2011年暮れのことです。
津波避難所として初めて機能を発揮したのが今回の地震でした。開放した外来フロアや講堂で不安な時を過ごした市民の数は、およそ250人にのぼります。
休息用の椅子やマットの配備、外傷や体調に関する声かけ、喘息発作の方の治療、飲料水の配給、駐車誘導などを、病院にかけつけることのできた職員たちが担ってくれました。次第に津波リスクが低減し、午前1時過ぎに注意報が解除されたのはご記憶の通りです。
帰途につく住民の方たちの安堵の表情は、医療面は言を俟たず、地域社会の一員としての貢献もまた当院の重要なミッションなのだと、新米院長に教えてくれていました。
(令和元年7月号)