豊栄病院 院長
関 慶一
令和6年4月から豊栄病院院長を務めています。
私は、埼玉県出身で、小江戸といわれる歴史の町、川越にある県立川越高等学校から新潟大学へ入学しました。上越新幹線が開業して5年目で新潟がぐっと近くなったためか、関東出身の同期も多い学年です。平成4年に本学卒業後は附属病院での内科研修を経て、第三内科へ入局しました。その後は消化器内科医として県立中央病院をはじめ三之町病院、佐渡総合病院、長岡赤十字病院、済生会新潟第二病院(現、済生会新潟病院)など県内各地の病院に勤務しました。これまで新潟で勤めてこられたのも、多くの先輩始め同僚、多職種のスタッフに助けて育てていただいたおかげと感謝しています。現在、新潟の医師が少ない状況となっていますが、「人との出会いの感動、奇跡」が、私のような幸せな他県出身の居残り医師を生み出したことは事実です。今後も新潟で多くを頂いた分あるいはそれ以上を「恩返し」をするつもりで、残りの職務を全うしていきたいと思います。
豊栄への通勤では大きな阿賀野川を渡ります。滔々と流れる大河の向こうに、五頭連山の背後からの朝日がとても眩しく、自然に元気をもらえるように感じることがあります。そうした当院の立地する北区は、阿賀北地域にあり新潟と新発田の医療圏の境界にあります。人口は約7万2千人を数えますが、面積は広大で、果樹園や田畑の広がる農業が盛んで美味しい産物の採れる田園地帯であり、高齢化と人口の粗密がみられることも地域の特徴です。当院は病床数199床で北区唯一の内科系の地域密着型病院で、地域のかかりつけ医機能を期待されています。小児科と産婦人科を除いて一般診療をはじめ高齢者救急、保健・予防活動、また20以上の介護福祉施設の後方支援などを担っています。こうした医療を展開する上では近隣の開業医の先生方や病院、介護福祉施設と有機的に機能する連携が必要で、医師会の第15班の先生方とも顔の見えるつながりを大切にしています。入院施設を持っている当院は、他施設の先生方からの紹介やコンサルトは自施設の外来からと同じ、と考えて誠実に対応することを心がけています。その中で高次医療を要する場合は速やかに基幹病院へ「つなぐ医療」も当院の役割と考えています。
新潟は車社会です。高齢化し、広域内に集落が点在する北区は、公共交通機関が届かない地区では免許返納すれば移動力をなくしますし、独居、老々介護、その他の家庭問題などから孤立し、医療から離れてしまい重病になって搬送されてくる方もみられます。病院は疾患を発症した患者を待つばかりでは地域を守ることはできません。医療を通して行政や近隣の病院・診療所・施設の方々、更には地域住民とつながって人々の生活を支える、そのために地域のネットワークの中にどのように病院が参画できるか、その可能性と持続性を持った関りを構築することが大事だと考えています。
医療の原点は“いつでも寄り添い手当てをする”近い人同士の助け合いの気持ちにあると考えます。当院のモットーは“やさしい病院づくりで地域医療を支える”です。“やさしい”とは地域の方々へいつでも安心で質の高い医療を提供するということ、更にそのために職員一人一人にとっても病院が、生き生きと働き甲斐のある職場であることが大切です。現場に携わるすべての部署の職員が協力し合える場であること、そうした職場環境をつくることが私の使命であり、地域住民と職員の健康と生活を守ること、すなわち皆のウエルビーイングを達成すること、それが地域包括ケアシステムの中で病院があるべき立ち位置なのだと考えています。月曜日が待ち遠しい、朝から仕事に向かうことでウキウキするような職場を目指します。
(令和6年11月号)