社会医療法人新潟臨港保健会 新潟臨港病院 院長
鈴木 裕
平素から新潟市医師会の諸先生方には大変お世話になっております。2024年6月1日付けで新潟臨港病院の院長に就任いたしました。この場をお借りして改めてご挨拶させていただきます。
当院は1946年に新潟臨港開発株式会社(現・株式会社リンコーコーポレーション)の新潟診療所として開設され、1951年に医療法人新潟臨港保健会を設立し、1954年に新潟臨港病院と改称し運営されてきました。2011年に法人設立60周年を迎え湊前院長が就任された際、本会報巻頭言で「当院の経営形態は企業立病院(株式会社が債務保証を行い実質的に運営する医療機関)の範疇にあたると考えられる」と述べておりましたが、企業を取り巻く社会情勢の変化もあって翌2012年度からはリンコーコーポレーションによる直接的な金銭関与はなくなり、同時に、新仁会グループ(当時)に参加させていただき経営に関するサポートを受けながらの病院運営となりました。その後、2013年7月からへき地診療のお手伝いを開始させていただき、2014年9月に社会医療法人の認可を受け、現在は独立した民間一般病院として196床(一般 147床、地域包括ケア 25床、医療療養 24床)で診療を行っております。また、法人としては2015年4月に新潟逓信病院の経営譲渡を受け新潟万代病院と改称して運営を開始し、両院が一体となっての経営を進めているところです。
私自身は新潟市で生まれ育ちましたが、生活圏はもっぱら現在の中央区(新潟島)内であり、当院の位置する東区(山の下地区)には、同級生の自宅が山の下市場通りにあり遊びに行ったことと、1980年代半ばに船江町に存在した「臨港スポーツセンター」(現・リンコーコーポレーションの関連会社が運営していたスケートリンク兼温水プール)にスケートをしに行ったことくらいしか記憶になく、1996年5月から非常勤医として当院でお手伝いするようになるまでは恥ずかしながら当院の存在を認識しておりませんでした。縁あって、2003年5月から常勤医として当院に勤務し現在に至りますが、大学医局時代には内視鏡の助勤で県内の多くの病院でお手伝いさせていただいた経験はあるものの、常勤医として勤務した病院は2施設のみであり、他施設での病院運営の取り組みや工夫などを経験する機会が少なかったことから、当院の弱点を把握し改善に生かす視点が乏しく、日々苦心しております。
現在、厚生労働省が検討を進めている2040年頃を見据えた新たな地域医療構想においては、入院医療だけではなく、外来・在宅医療、介護との連携、人材確保等を含めた地域の医療提供体制全体の課題解決を図ることが求められており、医療圏・近隣地域内で日頃から各医療施設や介護施設などと連携をとりスムーズな患者対応に結びつけて全人的医療として対応してゆくことがますます重要となっています。港湾地区に設立された企業立診療所を生い立ちとするという歴史的経緯もあり、当院では以前より「地域に密着し地域に信頼される病院」をメインテーマとして運営を心がけて参りましたが、今後は診療所や高次医療機関、後方施設とより一層連携を深めて、地域住民の信頼を得て地域医療のお役に立てるような病院を創っていけるよう、職員一同努力してまいりたいと思います。今後とも御指導・御支援いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。