永井 明彦
本誌4月号の「私の憩いのひととき」で、会報編集委員会の笹川基委員長が「にいがた東響コーラス」での活動について紹介され、9月の東響新潟定期演奏会で、L. V. ベートーヴェンの『Meeresstille und glückliche Fahrt 静かな海と楽しい航海』を歌う予定だと書かれていましたが、その演奏会では、私も笹川先生と同じバスの一員として合唱に参加しました。新潟市医師会員では他にテナーの笹川富士雄先生と、バスでもう一人、労働衛生医学協会の諸田哲也先生が歌っています。この曲は管弦楽と4部合唱から成るカンタータで、演奏会で取り上げられることは滅多にないのですが、オックスフォード大卒で英国王立音楽院教授の学究肌の客演指揮者、ライアン・ウィグルスワースが、この曲の音楽史に於ける意味合いを重視して、今回の定期演奏会の演目に選んだとのことです(図1、演奏会のパンフレット)。
18世紀末から19世紀初頭にかけてのヨーロッパはロマン主義の開花期にあたり、フランス革命、ナポレオン帝政などの激動の時代で、ゲーテ、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスなどが活躍しました。フランス革命に共鳴したベートーヴェンは第3交響曲をナポレオン・ボナパルトに献呈しようとしました。しかし、ナポレオンが皇帝に即位したことを聞くと、彼は楽譜の表紙に書かれた「ボナパルト」という題名とナポレオンへの献辞をペンで書き消し、「シンフォニア・エロイカ」と改題して「ある英雄の想い出のために」と書き加えました。彼が「ナポレオンも俗物に過ぎなかった」と激怒して、献辞の書かれた表紙を破り捨てたという有名な話は、誇張された創り話のようです。
そんなSturm und Drang(疾風怒濤)の時代に、ベートーヴェンはゲーテがイタリアのシチリア島に旅した際に編んだ2編の詩に触発され、この演奏時間8分ほどの小品を1815年に作曲しました。ゲーテの詩はナポレオンの脅威が去り、ウィーン会議が開かれた時期、靄に包まれた恐るべき停滞感や死の恐怖が去り、人々にもたらされた爆発的な喜びや開放感を表しています。寄る辺ない孤独と宿痾の難聴という心身の苦悩を克服した楽聖の精神は、ハイリゲンシュタットの遺書を経てロマン・ロランの言う「傑作の森」に分け入り、全人類的、全宇宙的な深遠なものとなりました。そんな時に創られたこの描写的なカンタータは、自然の秩序と神の支配が背景にあり、共に1808年に作曲された田園交響曲や第九の原型となった合唱幻想曲Choral Fantasyとモチーフは共通です。管弦楽と合唱の融合を目指した点で、その後に生まれる2つの大曲『荘厳ミサ』と『交響曲第9番・合唱付』の先駆けとなった意義深い曲だとも言えます。メンデルスゾーンも同じゲーテの詩に触発され、オーケストラ演奏のみの同名の序曲を作曲しています。CDは少ないのですが、C.アバドがベートーヴェンのカンタータをウィーン・フィル(田園と合唱幻想曲がカップリング)で、メンデルスゾーン作曲の序曲をロンドン・シンフォニーで指揮した名演があります。
さて、Meeresstille「静かな海」は直訳すれば「凪」で、glückliche Fahrt「楽しい航海」は「幸運な船路」ですが、山口四郎訳のゲーテ詩集(潮出版)にはそれぞれ「海の静寂(しじま)」、「海路順風」とあり、こちらの方が翻訳として優れているように思います。このカンタータでは、前半の「静かな海」でTodesstille fürchterlich! in der ungeheuern Weite(張り詰めて怖ろしいばかりの死の静寂!と途方もなく不気味な海の拡がり)を合唱がコラール風に表現します。後半の「楽しい航海」では短い序奏に続き、合唱が加わり、停滞感や恐怖を吹き飛ばす風の神エオルスの助けで水夫が帆を上げ、Geschwinde! Geschwinde!(急げ!急げ!)と船足を速め、陸に向かってひたすら進んで高揚していく光景が躍動的に歌われます。風神については、Äolus löset das ängstliche Band(エオルスが風袋の不安気な紐を解く)と書かれており、このフレーズは繰り返し歌われます。エオルス(アイオロス)はギリシャ神話のアネモイ(東西南北の風の神たち)の主にあたり、風神全体を意味するようです。因みにルネッサンスを代表するボッテチェリの名画『ヴィーナスの誕生』の左上隅には、ヴィーナスに向かって西風を吹き付ける風神ゼフュロス(図2、『ヴィーナスの誕生』部分)が描かれています。ゼフュロスはアネモイの中の一柱で、トラーキアの洞窟に住んでいて、洞穴や革袋に閉じ込めておいた春の訪れを告げる豊穣な西風を吹かせます。この絵では、ゼフュロスは花と春の女神フローラと風に乗って薔薇の花びらを宙に蒔きちらしながら、愛と美の女神ヴィーナスを陸地に届けようとしています。
ところで、江戸初期の琳派の創始者、俵屋宗達の有名な『風神雷神図』にも、風袋の口を緩めて風を送る風の神が屏風絵の右上(図3、『風神雷神図屏風』部分)に描かれています。日本に於ける風神という霊的存在も、古代ギリシャ美術のヘレニズム文化から伝播したとも見られていて、ふいごのように風を起こす風袋を背負った構図で描かれています。仏教美術においてもクシャーナ王朝のコインや敦煌石窟の壁画で、風袋を携えて疾駆する風神が描かれています。いずれにせよ、東西の文化と美術の交流や芸術の普遍性を感じさせますね。
一方、日本では風神は疫病神としての二義的な意味も持っています。これは空気の流動が農作物や漁業への害をもたらし、人の体内に入った時には病気を惹き起こすという中世の信仰から生まれたもので、「かぜをひく」の「かぜ」を「風邪」と書くのはこれに由来すると考えられているようです。
最後に俵屋宗達の雷神と風神は、それぞれ来年の東京五輪とパラリンピックの記念500円硬貨の図案(図4、2020東京パラリンピック記念硬貨)に選ばれていることを紹介し、駄文を締めくくることにいたしましょう。
図1
図2
図3
図4
(令和元年11月号)