黒田 兼
「どちらからおいでになりました?」
「新潟です」
「それはそれは、また遠いところから」
京都での会話は、こんな感じではじまる。
その日は祇園祭の前祭宵山。平安時代の869年、全国に疫病が流行し、人々は祟りによるものと考えた。当時の国の数である66の矛を立て、神事を行ったのが祇園祭の起源とされる。まさに現在のような状況が起こっていたのだろう。うだるような暑さの中、朝から山や鉾を見て回っていたが、昼過ぎから雨になった。夕方、雨宿りをかねて古い町家に見学に入った。鰻の寝床と形容される町家の奥には小さな庭がある。縁側に腰を下ろし、蚊取り線香の匂いをかぎながら、雨に濡れ少しずつ暗くなっていくのをぼんやり眺めていた。小一時間ほどたった頃だろうか、ボランティアガイドの中年女性が話しかけてきた。ひと通りの説明をうけた後、
「今日はどこを見てこられましたか」と訊かれた。
「孟宗山の山建てを朝からずっと見てました」
「それはいいものをご覧になりましたね」
「京都検定の勉強をしまして…」と話すと、祇園祭のことや町家のことをさらに詳しく話してくれた。気づけば他の見学者もいなくなり、話し込んでいると、自分は京都に嫁いできたのだが、未だに緊張感があるのだという。誰も見ていないように思えても、しっかり家の中から観察している。うかつに家の外に変なものは置けないし、外出するにも気を抜けないと。京都人の気質は噂に聞くが、実体験を聞いたのは初めてだった。
一昨年から京都・観光文化検定試験を受験している。受験対策講習会で講師曰く、「歩いて街中を探索せよ。京都新聞を読むべし」と。京都新聞は2月から定期購読を開始。2日遅れで届く。例年ならば毎日いろいろな行事が記事になるはずだが、今はその中止のニュースが目につく。街中は随分歩いた。1日中歩き回るので、日に2万歩は確実に歩く。ある日、二条城近くの小料理屋さんで遅いお昼を頂いた。50代くらいのご主人に「京都検定の勉強で街の中を歩いてて…」と話すと、京野菜について解説してくれ、自分がいいと思うものを京都の北の農家と契約して使っている、とのこと。「子供の頃は二条城の壁に向かってボール蹴ってましたよ。警備員に見つかりそうになると逃げたりしてね」と楽しそうに話してくれた。またある時、四条通の大丸デパートの漬け物屋さんで訊いてみた。「『すぐき』って何ですか?京都検定のテキストに出てくるんですけど、よくわからなくて…」、すると手持ちぶさたにしていた店員さんが二人がかり、前のめりで説明してくれる。「それは『すぐき菜』のこと!発酵させた漬け物で癖があるけどおいしいよ」。
この2月、行きつけの京鴨料理屋さんで2級に合格したことを伝えた。
「次1級合格したら、お祝いしましょ」
「でもねぇ…」と私。「1級はやたら難しくて、今回なんて合格率は3.1%…合格できる気がしません」
「うちのお客さんで、何回も1級受験してる子がいるわ。祇園祭が大好きで、祭りの間休みを取って、観光客相手に勝手に説明してるわ」
「へぇー、何年かかるかわからないけど頑張ってみようかな」
「京都検定で…」の一言で、ちょっとだけ京都人との距離がちぢまる気がする。県境を越えての観光がOKになったら、またあの人たちに会いに行こう。
「京都検定、勉強してるんですけど…」と。
(令和2年6月号)