柳本 利夫
新型コロナウイルスの第1回目の緊急事態宣言が発出された頃、私は前立腺全摘除術を受けました。手術はうまくいき回復は順調でした。退院後、自宅療養中に異変がおきました。小学生の孫に算数を教えている時、のどに痰がからみ、息がつまるような不安におそわれました。胸をどんどん叩いていると妻が背中をさすってくれ、不安は次第におさまりました。このような発作はその後もたびたび訪れました。不安になると脈拍が一気に増え、いてもたってもいられなくなります。これはパニック障害だと自分で気がつきました。知り合いの精神科医に相談し、抗不安薬を常時携帯することにしました。パニック発作時の経過を観察していると割と短時間で収束していきます。部屋の中を少し歩きまわるとおさまることもわかってきました。そこで、術後の体力回復もかねてウォーキングをはじめることにしました。毎晩、妻と二人で自宅の周辺を歩きます。初めは2キロほどの距離で息があがりましたが、次第に距離が増え、気がつくと毎日5キロを歩くようになっていきました。初夏の静かな夜の道、住宅街にもれてくる窓のあかりや、暗闇の田んぼを走る夜汽車を見送りながら二人で歩きます。暑さの残る盛夏の夜には街灯の下でカブトムシやコフキコガネをみつけました。この虫たちは孫の自由研究の標本箱に並びました。初秋を迎えるとコオロギの声が聞こえてきました。コロコロリィーと豊かなメロディのエンマコオロギ、リーッリーッリーッと単調な美しさのツヅレサセコオロギ…わきあがる虫の音を聞きながら歩く夜道は幻想的です。ウォーキングのもたらす身体的な効果については言うまでもありません。同伴の妻は順調に腹囲が減り、昔の服が着られるようになったと喜んでいます。また、ウォーキングにより脳内のセロトニンが増え心理的な安定をもたらす効果もわかっています。歩きながら身体の感覚や周囲の音、景色に意識を集中し、観察することで「今、この瞬間」に気づいていくことはマインドフルネスにつながります。パニック発作で、いても立ってもいられず歩きまわりたくなったのは、心身がそれを要求していたのかもしれません。寒い冬が終わり、ようやく春が訪れました。休日の朝は近くの佐潟でウォーキングをします。朝の陽が木々を照らしています。水色の空に薄雲がぼんやりと浮かんでいて、トビがゆっくりと帆翔しています。湖面を見ながら生態園の木道を進んでいくと、葦原にいたシジュウカラがツピージュクジュクと警戒音を出しながら通り過ぎました。遠くの梢でホオジロがチョッチーチョリリと春の歌を歌っています。やがて、ホオジロの声が途絶えて一瞬の静寂が訪れた時、耳介や頬に春の風が通り過ぎたのを感じました。これが私の癒やされる瞬間です。
(令和3年4月号)