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新潟市医師会報より

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ジャズシンガーはブロンドがお似合い

岡田 潔

ヨーロッパ大陸で、最も白い肌、金髪、青い目の住人が多い地域はバルト海沿岸、特にスカンジナビア地方です。この地域の人々は半数が、生まれつきのブロンドとブルーアイズの持主です。8世紀ごろからバルト海沿岸、スカンジナビア地方のバイキングたちが、バイキング時代(800年~1050年)と呼ばれる約250年間に、西ヨーロッパ沿海部を侵略して、金髪と青い目をヨーロッパ中に広めた、と信じられています。なぜ、スカンジナビアに白い肌が多いか調べると、メラニン色素の生成を抑制し肌が白くなると、日光を容易に吸収できて、食事には含まれていないビタミンDを合成しやすくなるからだ、と書いてあります。つまりビタミンDをより多く合成できた、肌の色が薄い人々のみが、日光の弱い過酷な地域で生き残った、ともいえます。白人は人類の進化の中で、遺伝子の変異によってメラニン生成能力が弱くなった人種なのでしょう。人類は、進化の過程で体毛が少なくなったので、太陽光から肌を守るためにメラニン色素を作り出しました。なので、アフリカなど赤道付近で日光の強い地域に住む人々は、肌を守るためのメラニン色素が多くなりました。

1980年代にオゾンホールが発見されてから、紫外線は有害だという意識が広まって、日光を避けるという風潮が広まりました。特に女性は、紫外線がシミやしわの原因になるとか、色白になりたいとか、美容や健康志向から日光を避ける人が増えているのは、皮肉な現象です。日光をたくさん吸収するために皮膚が白くなった白人と、その色白に憧れて日光を遠ざけている日本人は対照的な感じがします。

今回はジャズボーカルのことを書きますが、実は、私はあまり聴いていません。でも、もし聴くならば、男ではなく女性シンガーです。ジャズという音楽が生まれてから現在まで、完全な男性社会だったこの業界で、いつも女性が主役だった唯一のジャンルが、ジャズボーカルです。そういえば、私が一番好きなジャズシンガーは男性のチェット・ベイカーですが、彼の中性的な歌声をずっと女性だと思っていました。ジャズの長い歴史の中で、多くのジャズファンがイメージする、史上最高の女性ジャズシンガーの3トップといえば、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、そして伝説のビリー・ホリデイでしょうか。もはや歴史というよりも、化石(笑)

いきなり21世紀に飛びます。今世紀に入ってから今日までで、最も売れた女性ジャズシンガーが、ダイアナ・クラールです。デビューは1993年ですが、2000年からグラミー賞を5回受賞しています。カナダのブリティッシュ・コロンビア州出身の彼女は、1964年生まれですが、4歳でピアノを習い始めて、15歳の時にはレストランでピアノ演奏を始めました。17歳でボストンにあるバークリー音楽大学に入学して猛勉強した後、ダイアナの人生を変えた出会いがありました。彼女の地元のカナダでの演奏を、ジャズベーシストの重鎮レイ・ブラウンが聴いていて、彼女のデビューまで強力にバックアップすることになりました。レイとはダイアナがデビューした後も、彼女のアルバムで共演しています。

レイ・ブラウンは1951年に室内楽ジャズの金字塔、モダン・ジャズ・カルテットの実質的なファーストアルバムのレコーディングを行っています。彼は何と、あのエラ・フィッツジェラルドの元夫でした。

ここからが本題で、ダイアナ・クラールの話をします。彼女こそブロンドのブルーアイズです!カナダ生まれのダイアナですが、バイキングの末裔ですね、きっと。女性シンガーの中でもハスキーな声質で、ウィスパーボイスで歌います。チェットとは正反対です。グラマーな彼女は、ルックスは少しきつめですが、とても美しい女性です。しかも、ピアノの弾き語りができるので、凄くカッコよくて、とても画になるミュージシャンです。

ダイアナは1996年に、もう一人の重要な人物と出会います。イギリス出身のミュージシャン、エルヴィス・コステロです。彼は1977年のパンク・ムーヴメントの時期にデビューしています。一緒に曲を作るようになった二人は、2003年にめでたく結婚。翌年に彼女は『ザ・ガール・イン・ジ・アザー・ルーム』を発表しますが、このアルバムは、(エルヴィス)コステロとの共作が6曲、コステロの作曲が2曲と、とてもコステロ色が強い作品です。

私が初めてダイアナを聴いたのは、あるMRさんが貸してくれたCD『クワイエット・ナイツ』でした。その後、しばらくは彼女の存在を忘れていましたが、次に彼女の演奏を聴いたのは、2012年にポール・マッカートニーが初めて出したジャズアルバム、『キス・オン・ザ・ボトム』でした。何も知らずに聴いたのですが、ジャケットを裏返して参加ミュージシャンをみると、ゲストにはエリック・クラプトン、スティービー・ワンダー、と続いて、ピアノはすべてダイアナ・クラールが弾いていました。ポールもピアノが得意なのですが、このCDでは歌うことに専念しています。

話がややこしいのですが、またエルヴィス・コステロに戻ります。1989年に彼はポール・マッカートニーと出会って、多くの曲を共作して、お互いのアルバムに収録しています。

『キス・オン・ザ・ボトム』でダイアナの名前を見つけた日は、ダイアナとコステロとポールのトライアングルが発見できて、とてもハッピーな一夜でした。

ダイアナ・クラール(21世紀ジャズ界のDIVA)

(令和3年6月号)

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