浅井 忍
初めて読んだ食に関する本は、邱永漢の『食は広州に在り』(中公文庫 1975年)か、檀一雄の『檀流クッキング』(中公文庫 1975年)のどちらかだ。どちらも1975年に文庫化されていて、読んだのは文庫である。食の本とはいえないが、食についてかなりのページが占める伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』(文藝春秋新社 1965年)にはじまる、やや上から目線の数冊のエッセイ集も愛読した。池波正太郎の時代小説には、食に触れているところがかなりある。『食は広州に在り』には著者が自宅で開くパーティの記載があり、そのパーティで供される料理の品目の多さに驚いた。『檀流クッキング』は、料理手順の乱暴ともいえる豪快さがウリだ。『ヨーロッパ退屈日記』等は、溢れるばかりの蘊蓄が語られていて、なにしろ気障だ。池波正太郎の物語に登場する食は、旬を大いに意識させる。蕎麦屋での昼酒を教えてくれたのは、池波正太郎である。
塩田丸夫の『フグが食いたい!』(講談社プラスアルファ新書 2003年)は、フグについて網羅的に書かれている。力士や歌舞伎役者のフグ毒による死亡事故が記憶に残っている。昭和30年代、フグ毒で死ぬ人は年間100人を下らなかった。フグの骨が縄文時代の貝塚から出土されているというから、有史以来わが国ではフグ毒で相当な数の人々が亡くなっているに違いない。ちなみに、古来、フグ食の習慣があるのは中国と日本だけだという。秀吉の朝鮮出兵に、日本国中から博多に集められた兵士たちのフグによる中毒死が相次ぎ、秀吉はフグ食の禁止令を出した。それは、明治時代になって伊藤博文が禁止令を解くまで続いたという。武士出身の芭蕉は「河豚汁や鯛もあるのに無分別」と、フグ食を非難した。時代は100年ほど下がって、ひねくれ者の小林一茶の「鰒(ふぐ)食わぬ奴には見せな不二の山」は、芭蕉への当てつけともとれる。
食を社会学的なアプローチで捉えた本として『フード右翼とフード左翼』(速水健朗 朝日新書 2013年)が、印象に残る。高カロリーの安かろうのガッツリ系が右翼で、無農薬のヘルシーなロカボ系が左翼という大胆なくくりで食を論じている。『食の実験場アメリカ-ファーストフード帝国のゆくえ-』(鈴木透 中公新書 2019年)は、アメリカの食を、特にファーストフードを移民国家の視点から論じた好著である。
食の人物伝で強く印象に残るのは、海老沢泰久の『美味礼賛』(文春文庫 1994年)である。あまりに感激したので文庫を数冊買って、食の話で意気投合した友人に進呈した。『美味礼賛』は辻料理学校の創始者辻静雄の半生を描いたノンフィクション小説である。辻は讀賣新聞社を辞した後、アメリカに渡り料理研究家から手ほどきを受けた。その後フランスに渡ってレストランを巡り、多くの料理人や料理関係者と友好を深めた。北大路魯山人には、パリの一流レストランで料理に醤油をかけて食べたとの蛮行の逸話がある。北大路はフランス料理を斜で見ていた感があるが、辻はフランス料理のあらゆることを学んで日本に伝えようとする強い意志があった。
本間千枝子の『アメリカの食卓』(文春文庫 1984年)も印象深い本だ。7年間のアメリカ滞在中に、辻静雄が研究の手ほどきを受けた食の作家メアリー・F・K・フィッシャーに会いに行く逸話や、ラフカディオ・ハーンの料理本を探すくだりが描かれている。さりげなく引用される先人の箴言や著者の食に関する知識が本書の魅力である。ラフカディオ・ハーンは来日する前に、ニューオリンズ万博(1884年)に間に合わせて、『クレオール料理読本』を書いている。クレオールとは、ルイジアナに移住したフランス系やスペイン系の移民とその子孫を指す。本間千枝子が探し求めていた本が、日本語に翻訳されて、2017年に『復刻版 ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本』(CCCメディアハウス 2017年)として出版されている。
阿古真理は『日本外食全史』(亜紀書房 2021年)で、外食史というとらえどころのない壮大なテーマに挑んだ。江戸時代からコロナ禍までを縦の時間軸とし、横は高級フランス料理店からファミリー・レストランや居酒屋までが捉えられ、縦横無尽の外食史が展開されている。俯瞰と凝視のバランスがとれている。食の本は気楽なところがいい。
(令和3年8月号)