永井 明彦
もう半世紀以上前になりますが、小学生の頃に白山にあった新潟市公会堂で、日本の交響楽団だったか、ヨーロッパのオーケストラだったかの演奏会があり、初めて生のクラシック音楽を聴いて感激したことがあります。その際に聴いた曲はチェコ国民楽派のアントニン・ドヴォルザークの交響曲8番(通称、ドヴォ8、あまり品のいい言い方ではないけれど、ベートーヴェンの第7交響曲はベト7、マーラーの千人の交響曲はマラ8と略すことも)でした。
ドヴォルザークのシンフォニーというと第9交響曲の“新世界より”が有名ですが、ドヴォ8はより牧歌的で美しいメロディーに溢れた親しみやすいシンフォニーです。楽譜が英国ロンドンのノヴェル社から出版されたので、一時期“イギリス”と呼称されていましたが、民族色が濃厚でイギリスというよりチェコとかボヘミアと呼ぶ方が相応しく、西洋のクラシック音楽を聴くことの少なかった小学生の自分の耳にも解りやすく、心地よく響いたのではと思います。
スメタナと共にボヘミア楽派とも言われるドヴォルザークの頭の中では、故郷のボヘミア地方の民謡や舞曲などのメロディーや曲想が渦巻き、創作には困らなかったようで、昨年のNHKの朝ドラ『エール』で描かれた我が国の作曲家、古関裕而の天才ぶりとよく似ています。彼の音楽は同郷のマーラーに比べれば、屈託なく明るく親しみ易いのですが、作曲手法はウィーン古典派の技法に則って保守的です。民族精神を鼓舞するような革新的な要素は少なく、伝統主義者のブラームスやロシア国民楽派でありながら古典的ウィーン楽派の範疇から逸脱しない同年代のチャイコフスキーとの交友が、その辺りを物語ります。平凡な家庭人で伝統に忠実な彼の曲作りは一般大衆には受けましたが、聴く人の肺腑を剔るような深刻なメッセージ性に欠け、魂の高揚するような感動を期待することはできません。そこが同じボヘミアをルーツとするマーラーの音楽と決定的に違う点だと言えます。
さて、ボヘミアはチェコ共和国西部の歴史的名称で、東部のモラビアとともにチェコを構成し、ブルタバ(モルダウ)川沿いのプラハが中心都市でした。民族的にはケルト系のボイイ人に由来し、チェコ語ではチェヒČechyと呼び、ドイツ語はベーメンBöhmen(ボイイ人の故郷)です。歴史的にはドイツやハンガリー、ポーランドなどの周辺諸国と対抗し、ハプスブルク王国の支配を受けたこともあります。Bohemianというと、民族的なボヘミア人という意味の他に、定職を持たずに自由気ままな生活を謳歌する芸術家や作家をも意味し、その起源は15世紀にまで遡ります。当時、ジプシーのロマ人が主にボヘミア地方からフランスに流出入していました。ロマ人は定住先を持たない移動型民族の“流浪の民”で、ユダヤ人と同様にナチスが惹き起こしたホロコーストの犠牲にもなっています。因みにサラサーテ作曲のヴァイオリンの名曲、ツィゴイネルワイゼンは「Zigeuner(ジプシー)の旋律」という意味の独語です。また、プッチーニの有名なオペラ『ラ・ボエーム』は、19世紀末のパリを舞台にボヘミアン的生活を送る人々を描いていますし、ルノワールにも『ボヘミア人』という印象的な肖像画があります。
ところで、マーラーは「自分は三重の意味で故郷のない人間で、オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人だ」と語っています。彼のアウトサイダー(部外者)としての意識は生涯消えませんでしたが、晩年に強いて聞かれれば「Ich bin ein Böhme.(私はボヘミア人)」と答えています。生と死を見つめたマーラーの音楽は繊細で耽美的ですが、俗っぽく猥雑でシリアスな多様性にも富んでいて、最後に触れるQueenの“ボヘミアン・ラプソディ”に通じるものがあります。
マーラーは10曲の交響曲を作曲しましたが、1番から5番の初期のシンフォニーは歌曲集に因んで角笛交響曲と呼ばれているように、彼の音楽は歌心に満ちています。声楽や合唱音楽が趣味で、多くの合唱曲のバスパートを歌ってきた自分には、角笛シリーズと第8番の“千人の交響曲”はバイブルのようなものです。CDなどの音楽媒体で聞ける演奏では、ユダヤ系アメリカ人のレナード・バーンスタインの交響曲全集が素晴らしい。バーンスタインの演奏はユダヤの同胞の音楽に共感して、ゆったりとしたテンポで良くも悪くも主情的な思い入れが強く、辟易する人がいるかも知れません。マーラーの音楽美は細部に宿り、彼の交響曲を一言で表すなら「ミクロコスモス」、一般的には人体の宇宙的アナロジーを意味しますが、小さな宇宙を感じさせる音楽とも言えます。
マーラー演奏の第一人者のイスラエル人指揮者、ガリー・ベルティーニは、ケルン響とのマーラーチクルスで3回来日し、日本のマーラーブームの立役者になりました。彼はEMIから2度、交響曲全集を出しましたが、最初の全集の一部は日本で収録され、第8番の児童合唱は東京少年少女合唱隊が受け持っています。1991年11月にサントリーHでそのケルン響との第1、第4交響曲を聴きましたが、終演後に聴衆の盛大なブラヴォーとともにオーケストラのボックス席に投げ入れられた沢山のバラの花びらが印象的で、日本の演奏会でもこんなことがあるのだと驚き、感心したものです。
そして、2018年10月、イギリスの伝説のロックバンドQueenの音楽映画“ボヘミアン・ラプソディ”が公開され、第3次Queenブームが起きました。ペルシャ系インド人のヴォーカル、フレディ・マーキュリーの半生が描かれた感動的な伝記映画です。“ボヘミアン・ラプソディ”はQueenの4作目のアルバム『オペラ座の夜』に収録され、ロック史上最高と評価され、グラミー殿堂賞を受賞した大ヒット曲です。英国病が蔓延して、人々の閉塞感や頻発したストライキのため社会的に停滞した時期の1975年に発表されました。昨年10月の「月灯虫音」欄で岡田潔先生がこの映画について書かれ、フレディのLGBTQ的な面について触れていましたが、社会の同性愛に対する偏見やフレディ自身がゲイであることの葛藤が曲の底流に流れ、6分もの長さに及ぶ狂騒曲(Rhapsody)はNothing really matters.という印象的なフレーズで終わります。Bohemianは社会の決まりや在り方に囚われず自由奔放に生きる芸術家であり、Rhapsodyも形式に捕らわれず、自由な文化や心の在り方を表した楽曲です。フレディ・マーキュリーは社会の制約を解き放ち、ゲイとして生き、「自由人の狂騒曲」を歌ったロックシンガーとして多くの人の心の中で生き続けていくことでしょう。
追記:この拙稿を市医師会報に投稿した直後に『「ボヘミアン・ラプソディ」の謎を解く』(菅原裕子著、光文社新書)が刊行されたことを知りました。Mama, just killed a man…で始まるナンバーの謎めいた歌詞を徹底的にリサーチし、英国のナショナル・ロックアンセムとも言われるこの名曲が、フレディ・マーキュリーの(ゲイであることの)カミングアウト・ソングだとの仮説を検証した一冊のようです。では、早速、購入して秋の夜長にじっくりと読み込んでみることにいたしましょう。
ルノワール画『ボヘミア人』
交響曲第1番を指揮するマーラーを描いた
カリカチュア(テオ・ツァッシェ作)
ベルティーニのマーラー交響曲全集
Bohemian Rhapsody の映画ポスター
(令和3年9月号)