黒田 千亜紀
お嬢さんがピアノを習っているという方、多いのではないでしょうか?お嬢さんの発表会演奏を鑑賞して、なかなかセンスがあるなあと感心したり、努力して上達していく様子を嬉しく思ったりなさいませんか?そのお嬢さんがこの世にあまたある名曲、憧れの曲に出逢っても、生まれながらにその曲が弾けない運命だとしたらどうでしょう。知らず知らず無理をして関節を痛めているかも知れないとしたら?お嬢さんが170cmを超える長身か、そうなる見込みの方はどのくらいいらっしゃいますか?そうでない場合、お嬢さんは近いうちに、あるいは既に、弾きたい曲、弾かなければならない曲の楽譜と、鍵盤と、自分の手との間にジレンマを感じて苦しむかも知れません。大なり小なり、必ず。今回この場をお借りして、ピアノが好きな、ピアノを楽しみたいほぼ全ての女性のために提案があります。
もう随分前から、この事を考えると想いが溢れてとめどなくなってしまう。こんなことは誰にでもあるものかもしれない。
3歳の頃、母に連れられ、姉や兄と並んでピアノの先生のお宅の玄関で頭を下げたのを覚えている。真面目に練習した記憶もなく、厳しいレッスンに行くのが気が重かったが、ピアノをやめようと思ったことは1度もなかった。ソナタアルバムというのがあって、中断する頃は先生に指示されるままに淡々とそれを進めていた。小学校中学校では合唱や校歌の伴奏、自分の好きな曲の弾き語りなどいろんな刺激もあったが、高校の芸術選択で美術を選択すると、ピアノの世界はレッスンと年1回の発表会のみになり、止める気はさらさら無かったが、高2の秋、必然のように受験のためという口上でレッスンを休止した。
小学生の頃の先生に教わって、唯一?一生懸命やっていたことがある。毎晩お風呂の浴槽の壁で、ゆっくりしっかり指を広げること。おかげで私の親指と小指は180度開脚のように開指?する。しかし残念なことに、あまりにも小さい。手のひらはふっくらして指が短いので、もみじの手とか、赤ちゃんの手とか称されることが多い。指の関節を傷めた際、某手の外科病院の検査技師さんが一瞥して、「ちんこて手〜!これじゃピアノは不利だろ〜」と驚いた(ちんこてとは、ちっちゃいと云う意味の新潟弁、念のため)。
そう、そのこと。その事を考えると堂々巡りが始まるのだ。吹奏楽で楽器を選ぶ時、肺活量や体格、リズム感、積極的な性格など、「適性」というものがあると思う。はたしてピアノにとって手の大きさは「適性」なのか?
震災の年からピアノに向き合い始め、2012年から先生の指導を受けるようになり、2013年から年に2回、発表の機会を頂いている。ここまで読み進んでらっしゃる方は子供の頃相当弾いていたとか、お子さんのピアノ練習で、あるいは鑑賞で曲を熟知されているという方も多いと推察するので、まずは恥を承知で自分自身がどんな曲を発表にあげてきたかをご紹介させていただく。
2013年 ショパンノクターン2番変ホ長調Op.9-2、ショパンワルツ7番嬰ハ短調Op.64-2
2014年 ベートーヴェンソナタ「月光」第1楽章、ドビュッシー月の光
2015年 ショパンノクターン20番嬰ハ短調遺作、ドビュッシー小さな黒ん坊(連弾)、リスト愛の夢第3番
2016年 ショパンエチュード3番Op.10-3「別れの曲」、ドビュッシーアラベスク第1番
2017年 ショパン幻想即興曲Op.66、ドビュッシープレリュード(ベルガマスク組曲より)
2018年 ショパンワルツ14番ホ短調遺作、ショパンワルツ9番変イ長調「告別」Op.69-1
2019年 ショパンワルツ19番イ短調遺作、ショパンワルツ10番ロ短調Op.69−2遺作
2020年 (夏のコンサートは中止)ドビュッシー亜麻色の髪の乙女・月の光
2021年 ショパンワルツ2番変イ長調Op.34-1「華麗なる円舞曲」、リストコンソレーション第3番、J.S.バッハ(Myra Hess編曲)主よ、人の望みの喜びよ(2台ピアノ)
2022年 ショパンマズルカ6番Op.7−2、ショパンワルツ3番イ短調Op.34-2「華麗なる円舞曲」、プレリュード4番ホ短調Op28-4
なんとなくお気づきではないだろうか。2015年から2017年頃をピーク?に、なんだかショパンのワルツの小品ばかり弾いてるような…。
「愛の夢」を例にあげると、先ずはゆったりと広がるような旋律で始まる。徐々に盛り上がり、佳境に入る頃には私の親指と小指の関節は外れるか皮が裂けるかしそうな苦しみにさいなまれる。しかし一般的な体格の日本人男性ピアニストの演奏動画では、鍵盤の上からリラックスした充分にコントロールされた指で弾いている。「別れの曲」も、1回弾くともう右手が痛くて、痛くて、正直ずっと親指と小指が亜脱臼状態。演奏中にしばしば関節がロックしたように固まる。演奏後しばらく掌をゆっくり包むように揉みほぐして痛みを和らげないと手が動かない。
そんなわけで、発表会終了後痛みで弾けない状態になり、とにかく指を広げない曲を選ぶようになり、ショパンのワルツばかり弾くことになった。2021年、「コンソレーション」とバッハで再び無理をしてしまい、さらによせば良いのにショパンの「革命」のエチュードを弾いたらもう、年末にお箸も持てない、痛みで親指を広げるだけでなく曲げることも出来なくなって、やむなく2ヶ月ほどピアノから離れることになった。
2022年のマズルカもワルツもプレリュードも、もちろん大好きで心動かされる曲だから選んだのだが、痛みがでない曲だったからということで可能となった。現在ハノンの速弾きで痛みが再発するので、もしかしたらもう弾けないかもしれない。指導を受けている先生には当初より私のわがままで、自分の好きな曲を弾かせていただき、指の痛みに関しても大変ご配慮いただき感謝しているが、この先無理のかからない、弾きたい曲が見つかるだろうか。
例えば、有名な曲で言うとベートーヴェンの「悲愴」ソナタ第2楽章。そんなに難易度の高い曲ではない。でも、右手の小指や薬指で旋律を歌うように滑らかに繋ぎながら、親指と人差し指でリズムを刻むことが困難なのだ。これはもうただ、届かないから。後述する人差し指と小指のスパンが関わってくる。
乙女の祈り。これはオクターブで夢が広がるような旋律を美しく弾くわけだが、白鍵のオクターブを押さえるためにピアノの手前側ギリギリで引っ掛けなければならないので、黒鍵のオクターブへの移動がジグザグ移動になってしまい、間に合わない。それにもう、関節を傷めちゃって痛くて弾けない。このような経緯を知ってもらった上でもう少し我慢して話に付き合って欲しい。
数年前、長岡で仲道郁代さんがショパン愛用のプレイエルと現代のスタインウェイの弾き比べのコンサートを開かれたが、当時のプレイエルは15/16の細幅鍵盤。ステージに2台を並べて交互に同じ曲を演奏された(ショパンワルツ集2台の弾き比べCDも発売されている)。通常鍵盤と細幅鍵盤は特に弾き方が違うわけではない。ピアノの上手な人はオルガンだろうが鍵盤ハーモニカであろうが問題なく弾けるのと同じだ。ベートーベンも細幅を使っていたようだ。今のサイズになったのは意外に最近のことなのだ。そしてピアノは、男性ピアニストのものになってゆく。
酒井直隆先生の著書で、『解決!演奏家の手の悩み』という良著があるが、その中に「ピアノの鍵盤幅は変えられないか?」というコラムがある。ピアニストの手の障害の原因で多いのがオクターブと和音の練習であること。鍵盤のサイズを小さくすれば無理がかからないこと。しかし、以前日本のメーカーが幅の狭い鍵盤を売り出したがあまり売れなかった。理由は単純。ピアノはヴァイオリンのように自分の楽器をコンサートホールに持ち運べないことだったと書かれている。ご存知の通り、ヴァイオリンには分数ヴァイオリンという子供サイズがある。チェロも。いつでもどこでも自分にあった楽器で弾ける。ピアノはと言えば、ホロヴィッツ級でなければ自分のピアノをコンサートホールに持ち込める訳も無く、通常は自宅のピアノで練習し、先生のピアノでレッスンを受け、発表会のホールのピアノで成果を披露する。したがって自宅に細幅の鍵盤を入れても、他のピアノが通常サイズであれば意味がないことになると。
実際、私は当時国産ピアノのカタログに細幅鍵盤のオプションの表記があったのを見た。20万円程度アップではなかったかと思う。こんなものがあるなんて!と、当時子供がお世話になっていた先生に購入してみようかと相談してみた。「男の子だし、手が小さいのは今だけだし…」と勧められなかった。それはそうだ。私が一人で楽しむためのピアノと決まっていたなら、また違ったかもしれない。悔やまれてならない。国内メーカーさんは今、小サイズに手をつける事はないとの返事だ。しかし、世界は、時代は、変わってきている。
そもそも、細幅の鍵盤を作ってくれる会社は現在も存在する(ただし国外)。そして、強調したいのは標準鍵盤との鍵盤交換作業は1分程度だということ。もちろんすぐに既存の標準鍵盤に戻せる。だから大勢出演する発表会でも問題ない。
実名をあげて不正確な文言になっても困るので、できる限り正確な意味が伝わるように簡単に書くとする。
アメリカの音大でピアノの大柄な男性教授が、華奢な女子学生に「大きな音を!」と強く要求し、女子学生は小さな手でギリギリ届く和音に大きな音が出せないでいる。その様子を見て、ある女性講師は不公平を感じた。一方で理解ある音楽学校の教授や校長は述べている。手が小さいピアニストがオクターブや大きな和音に体を合わせるのは不可能だ。テクニックがいかに効率的であっても怪我のリスクを高めると。ダラスの大学で鍵盤楽器研究の講義担当の指導者は細幅鍵盤の普及に尽力され、次のように語っている。「私はピアニストが自分の手幅に合った鍵盤に初めて手を置くところに度々立ち合います。そのピアニストが自然と泣き崩れることがなんて多いことでしょう。ずっと克服不可能に見えていた問題に悩み続けた今までの人生が、問題なのは自分ではない。楽器だったのだ!という気付きとともに消え去る瞬間です。それに続いて、可能性の喜びに圧倒されます」。正確な全文はPIANISTS FOR ALTERNATIVELY SIZED KEYBOADS(https://paskpiano.org/)を参照して頂きたい。
おそらくそれは何万人何十万人の人が感じてきたこと。裾野ではあんなに女性が多いにも関わらず、最高峰のピアニストに男性が圧倒的に多いということ(弦楽器ではコンクール優勝者はむしろ女性が多いというデータがある)。体格が大きく異なるにも関わらず、何故か大柄な男性の手にあったサイズのみが標準としてまかり通っている現状を、女性差別だと声をあげ始めたのだ。
If everyone plays the same size, most are playing the wrong size!
アメリカの音楽大学ではすでに変革が始まった。
親指と小指の端を計測して、演奏能力を示した基準がある。
6.7インチ約17cmがギリギリのオクターブ(ちなみに私はここに該当)
7.6インチ約19cm最小限リラックスしたオクターブ
8.5インチ約22cmすべての状況でほとんどまたは全く緊張のないオクターブ
もうひとつ演奏上欠かせないサイズがある。人差し指から小指のスパンだ。
約15cm−ある程度楽な6度(私はこれが14cmとちょっとしかなく、演奏できる曲を極端に減らす原因。小指と薬指で旋律を奏でながら親指と人差し指で中間層を弾く曲は多い)
約18cm−ある程度楽な7度
オーストラリアの調査では、女性の8割にとってピアノの標準鍵盤は大き過ぎると判明した(図)。2/3が白人の調査で、だ。興味のある方は先ずは細幅鍵盤随想記(http://littlehands782.blog.fc2.com/)を参照して頂きたい。
この図はとてもわかりやすく、残酷。1インチ2.54cmだから、私は6.8インチ程。とほほ…。発表会の曲選びから歴然だが、私はバッハやモーツァルトよりもショパンやドビュッシーを弾くのが好きだ。ショパンの子守唄が大好きだが後半にどうにも届かない部分がありはじめから諦めざるを得ない。ベートーヴェンには届かない曲が多いが、「テンペスト」3楽章は小さい手でもオクターブを数カ所頑張ればいけるのではと、近いうちにじっくり取り組みたいと夢想していたが、この親指のコンディションでは一生無理そうだ。初めから無理な曲があまりに多すぎた。いけそうだと思って譜読みを進めていって、最後の盛り上がりで届かない箇所を発見して水泡に帰すことがしょっちゅう。またトライしないように白い付箋を貼る。長い間無理もし過ぎた。もしも早いうちに私に合う7/8鍵盤が選択できたらどうだっただろう。それでもやっぱり、私は弾きたいのだ。
微力ながら私なりに頑張ってあちこち調べた。スタインウェイアメリカでは新品のスタインウェイにも既存のスタインウェイにも、細幅鍵盤を作ってくれる。もちろん、普通にスタインウェイのお値段なので高価だが。
そしてSteinbuhler & Companyという鍵盤会社さんは、グランドピアノの場合、日本から鍵盤とアクションを丸ごと送れば、それに合う細幅鍵盤を作ってくれる。鍵盤には15/16 サイズや7/8サイズなどが選べる。その場合円安進行前に確認した時は多めに見積もっても送料込みで150万円ほどでなかったかと記憶している。
さらに確認したところ、ヤマハCシリーズであれば、サイズに誤差や狂いがないので、ぴったりの細幅鍵盤を製作して送ってくれるとのこと。送料や手間が一回省けるのでもう少し安価になるかも知れない。アップライトでは細幅鍵盤のピアノを購入することになるらしい。
しかし、国内のメーカーさんが、その技術をもって全てのピアノに細幅鍵盤を選べるようにしてくれたら、おそらくもっと安価で、品質も安心して注文ができるのに。何故それができないのか。(この際正直値段が高くたって私は欲しいけど、それではだめなのだ。誰でも平等に体に合う楽器で弾けなくちゃ)
そのために私が絶対欠かせないと感じていること、そして1番訴えたいこと。アメリカでは細幅鍵盤を選択できるピアノコンクールが開催され始めた。ピアノを弾く人が(特にもう成長しない小さな手の中高生以上が)、安心して自分に合うサイズの楽器を奏でることが出来るために必要なことは、発表の場である大きなホール、例えばりゅーとぴあコンサートホールのような、県庁所在地レベルのホールのピアノに、是非細幅鍵盤を準備して欲しいということ。大抵スタインウェイのコンサートグランドなんだからすぐに作ってもらってください!!予算がつかないならクラウドファンディングだか募金だかで?いや、教育と音楽振興の為に是非公費を!(あ、思わず興奮してきた)新しい豪華なホールを作るより、音楽界を担う女性のために(子供や一般人のピアノ人口は女性が明らかに多いのだから)細幅鍵盤を導入してほしい。
裾野から世の中を変えられなくても、ホールに細幅の選択肢があれば簡単に世界は変わる。21世紀に、殆ど女性ばかりの発表会やコンサートで揃って男性用楽器を弾いている意味がわからない。多様性が尊重される現代で、ピアノだけが差別的であってはならない。初めのうちは個人の先生のレッスン室での対応は難しくても、今はリモートレッスンや訪問レッスンなどという選択肢も考えられる。ほとんどのピアノの先生方はご自分もその苦しみを痛感しているはずだ。ここで世界を変えなければ、未来永劫同じ事が続く。
国産メーカーさんだってスタインウェイの精神に遅れをとってはならない。大手の楽器メーカーさん、販売店さんの中心地のお教室では、是非早々に細幅を準備して、グレードテストなどに利用できるようにしてほしい。ピアノ自体が高価な楽器だ。しかし、そこに細幅鍵盤を量産することで、必ずピアノはもっとずっと多くの人にとって楽しく素敵な楽器になる。
身近に手が小さいからピアノはやめたという人が必ずいるはずだ。私も何人も知っている。手がもう少し大きかったらと心を痛めながらも頑張っている女性は数え切れないほど知っている。指の問題が解決すればピアノ人口も増える。手の大きさや、そのために傷めた指で諦めざるを得なかった多彩な曲の演奏がもっともっと広がると信じている。
世の中にこれだけピアノが普及して、日本を含むアジアの小柄な女性が、多くの子供たちがピアノに親しんでいる。むしろ細幅が多数派になる日だって来るかも知れない。否、当然来るはずだ。20年後、現行品はジャイアント鍵盤とか呼ばれているかも知れない。だって、自分の周りを見渡しても、今の標準サイズの鍵盤がちょうど良いと思われる女性などほとんどいないのだから。
手が小さいことで夢を諦めたり、指を傷めて弾けなくなったり、余裕のある豊かな演奏を困難にしたりすることがないように。ピアノメーカーさん、公共施設や教育に関与する皆さんにこの声が届くといいと思う。
小さな足の女の子が、25センチのシューズで100メートルを競わなければならないような不公平が続きませんように。指に割り箸を縛り付けたらオクターブが届くだろうかとため息をついたり、日常生活にまで支障をきたすほど指を傷め、憩いのひとときを奪われる人が、これ以上増えませんように。今、おうちの人に手を引かれてレッスン室の扉を開け、緊張気味の目を光らせペコリと頭を下げている小さな女の子が、10年後20年後にも延々と同じ思いをしませんように。私よりも行動力のある誰かが、どうかこの思いに共感してくれますように。大きなムーブメントになることを願って、皆さんの声をお待ちしています。
(令和5年1月号)