永井 明彦
ロシアのプーチン大統領はロシア・ウクライナ(小ロシア)・ベラルーシ(白ロシア)はキエフ公国(キエフ・ルーシ)の継承者で、歴史的に一体不可分だと主張し、ウクライナへの狂気の侵略を続けています。ウクライナやベラルーシには東方ユダヤ人(アシュケナージ)社会があります。侵攻の目的を「ウクライナの非ナチ化」としながら、彼の対外政策にはスターリンと同様に反ユダヤ主義が内在し、ウクライナの指導層がユダヤ系であることも今回の侵攻理由の一つのように思えます。
2014年のソチ冬季五輪の閉会式で、「ロシアの大芸術家の肖像画が会場に投影され、芸術に対するプーチンの強烈な憧憬とコンプレックスを感じた」という朝日新聞の吉田純子編集委員の記事を最近目にしました。ロシアを強固な精神の共同体にする糧として芸術を必要としているのではないかという論旨です。ウクライナはあまねくロシア芸術発祥の地です。その同胞を抱擁しようとした手を払いのけられ傷ついたプライドを暴走させ、軍事侵攻したと吉田氏は書いていますが、何たる皮肉、何という身勝手な所業でしょうか。
戦争と芸術といえば、第二次大戦直前、ナチス・ドイツのヒトラーはユダヤ系や東欧スラブ系やロシア共産党ボリシェビキの芸術家による表現主義的ないし新即物主義的な近代美術や前衛芸術を、「頽廃芸術」として排斥しました。プーチンは社会主義より帝政ロシア時代の皇帝(ツァーリ)による治世に共鳴し、自らをピョートル大帝に擬えています。PutlerともPutalinとも揶揄される彼の芸術感は、アーリア人として人種的に純粋で多様性に乏しいヒトラーのそれに近く、LGBTQ+への理解もないような気がします。「頽廃芸術」というと絵画だけでなく、ユダヤ人作曲家のフェリックス・メンデルスゾーン(盛期ロマン派)やグスタフ・マーラー(世紀末後期ロマン派)の音楽やイーゴリ・ストラヴィンスキー、ポール・ヒンデミット、アルバン・ベルク、アルノルト・シェーンベルクなどの前衛音楽も「頽廃音楽」とされましたが、それについては、この稿では割愛したいと思います。
プーチンの出身地のサンクトペテルブルグには、エカテリーナ2世が建てたエルミタージュ宮殿があります。第二次大戦後に国立美術館になり、多くの泰西名画や美術品が収蔵されました。昨年春に亡くなった版画家の義母は同美術館を訪れた際に、何とまあ、金ピカの美術館だろう、どの位お金をかけたのかと、呆れて美術品はろくに鑑賞しなかったと言っていました。同館にはプーチンが好きそうな、古代ギリシャやローマの古典的芸術に範を求めたルネッサンスの名画や中世ヨーロッパの有名な宗教画などが、数多く展示されています。
さて、ウクライナというと、ブロードウェイのミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』を思い出します。このミュージカルの原作はキエフ生まれのユダヤ人作家、ショーレム・アレイへムによる短編小説『牛乳屋テヴィエ』です。ロシア帝国の領土となったウクライナの寒村に住むユダヤ人家族の物語で、ポグロムに遭って抑圧されながらも人間としての誇りや機知を失わないユダヤ人一族が描かれています。このミュージカルは日本語にも翻案され、森繁久弥主演で日生劇場などで900回に亘って上演されていますね。
ウクライナ侵攻で起きたワグネルの反乱では、ベラルーシのルカシェンコ大統領がプーチンとワグネル総帥のプリゴジンの仲介役を務め「欧州最後の独裁者」として、保身のため実にしたたかに立ち廻りました。そのベラルーシ出身のユダヤ人画家、マルク・シャガールの絵に有名な『ヴァイオリン弾き』があります。ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』のタイトルはこの絵から採られました。当時の伝統的なユダヤ人コミュニティーでは、ヴァイオリン弾きは婚礼、葬儀、宗教儀式において必要不可欠な存在で、民族音楽“クレズマー”を奏でる音楽家というだけでなく、神と民衆を結びつける重要な役割を担いました。ヴァイオリンやヴァイオリン弾きはシャガールの作品にしばしば現れ、シャガールの故郷の記憶と密接に関わるモティーフのようです。
ベラルーシ出身のユダヤ系画家には、ハイム・スーチンという鬼才もいます。エコール・ド・パリの中でも傑出した一人で、名もない使用人の絵を好んで描いた彼の絵画は、描く対象の中に屈折した想いを反映する「叫びの芸術」と評され、貧困と差別の中で喘ぐ激しい心情と焦燥感や苦悩が投影されています。代表的な作品には『ニシンとタマネギのある静物画』、『ケーキ職人』などがありますが、ここでは、自身の『自画像』と、同じくナチスに頽廃芸術家とされ、エコール・ド・パリで親身にスーチンの面倒を見たアメデオ・モディリアニによる『スーチンの肖像』を並べて掲載しておきます。
ところで、昨年の夏、新潟市美術館で開催された『マン・レイと女性たち』展を鑑賞する機会がありました。20世紀を代表する米国の天才芸術家マン・レイの本名は、エマニュエル・ラドニツキーといい、ウクライナとベラルーシから来たユダヤ人移民夫婦の長男としてフィラデルフィアで生まれました。マン・レイはダダイストやシュルレアリストとして、芸術のジャンルを超えて多数の写真やオブジェ、さらに絵画も制作し、差別意識も偏見もなく敬意を以て女性に接し、客観的な目を通して女性の美と個性を刻印しました。
彼はマルシェル・デュシャンと生涯の友になり、やはり頽廃芸術家とされたマックス・エルンストと親しく交友し、パブロ・ピカソを年長の友として敬愛しました。掲載した作品はソラリゼイションという技法で白黒を反転したモノクロ写真で、『マン・レイと女性たち』展の図録(巌谷國士監修)の表紙にも使われた魅力的な女性像です。マン・レイは第二次大戦時にドイツにいれば、必ずやナチスに頽廃芸術家の烙印を押されていたはずです。
ヒトラーが開催した「頽廃芸術展」で展示された画家には、他にアルマ・マーラーとの情熱的な恋愛で有名なオスカー・ココシュカ、マックス・エルンスト、パウル・クレー、ワシリー・カンディンスキー、アンリ・マティス等がいますが、最後に、ロシアと音楽絡みでカンディンスキーに触れてみます。
カンディンスキーの抽象画の素晴らしさについては、大分以前に音大出のピアニストの友人から教えられました。モスクワ生まれ、オデッサ育ちのカンディンスキーは抽象絵画の先駆者で、ロシア・アヴァンギャルドの旗手となり、ロシア革命を主導したレーニンに認められ、革命政府の美術行政顧問を務めました。しかし、スターリンにその前衛性を軽視されて排斥され、ドイツに移り美術・建築学校のバウハウスの教官になります。後にバウハウスはナチスに閉鎖され、彼の作品は頽廃芸術とされてしまいます。カンディンスキーは両親とも楽器を演奏する文化的で裕福な家庭に生まれ、幼少時よりピアノやチェロに親しみ、一時は音楽家を志したほど音楽に惹かれたそうです。クロード・モネの『積み藁』に触発され風景画を描いていた時期に、シェーンベルクのコンサートを聴いて感動し、『印象Ⅲ(コンサート)』を描いて抽象表現を始めます。掲載した作品は『コンポジションⅧ』ですが、コンポジションには構成の意の他に作曲の意味もあり、一部に楽譜のような図柄も見え、音楽とのアナロジーが伺える有名な作品です。
さて、ロシアでは、今年も4年に1度のチャイコフスキー国際コンクールが開催されました。創設65周年にあたる記念コンサートでしたが、国外にいるロシア人演奏家の多くは徴兵を怖れて出場を断念したそうです。ウクライナ侵攻を受けて国際音楽コンクール連盟から排除された今回のコンクールでは、ロシア人と韓国勢が優勝を独占し、観客のロシア人だけが盛り上がっていたようです。
そのチャイコフスキー・コンクールなど数々のコンクールを制覇したラトビア出身の名ヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルは「芸術の世界に勝利などない」と言い放ち、「帝国主義は様々な国の営みを一つの屋根の下に置こうとして、最後には彼等から自由を奪う。多様な思考や文化、権利が存在することを都合が悪いと考える社会は病んでいる」と、昨年の来日時に語っていたそうです。
容易ではないでしょうが、ロシア国民が政治的プロパガンダの呪縛から解き放たれ、独裁者による無意味で犯罪的な戦争を止めさせ、真っ当な選挙を通じて民主的な議会制共和国への道を歩み始めることを願って、稿を閉じたいと思います。
ヴァイオリン弾き(アムステルダム市美術館蔵)
自画像
スーチン像(モディリアニ)
眠る女〈ソラリゼイション〉(個人蔵)
コンポジションⅧ(グッゲンハイム美術館蔵)
(令和5年8月号)