岡田 潔
意識して、初めてちゃんとジャズを聴いたのは大学生の時でした。今もレパートリーはほとんど増えていませんが。友だちの女の子が、ビリー・ホリデイが大好きだと言うので一緒にLPを聴いてみたのですが(当時、まだCDはありません)、録音されたのがSP盤の時代なので何だか古臭く感じたことを覚えています。「不世出の歌手」と言われていますが、「最高に上手い歌手か?」と聞かれたら、私は「そうだ」とは答えません。声量も歌手としては普通、声は低音でレンジもさほど広くはない、ピッチも何だか揺れている。そこがいいと思う人もいるかもしれません。それにしても、普通に考えると、あの声であんな憂鬱な歌いかたで歌われちゃうと、ジャズの初心者は多分ひいてしまうでしょう。でも、彼女がデビューした頃はまだ第二次世界大戦中だった、という時代背景を考えたら、「やっぱり凄い歌手だった」と言われたのだろうと、想像はつきます。その後のジャズ界には彼女よりも上手い歌手はたくさんいます。ビリーが一番ならエラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンはどうなるんだ?バーブラ・ストライサンドとかホイットニー・ヒューストン、マライア・キャリー…テクニックでは、ビリーはかなわない。もちろん「上手い」イコール「いい」というわけではありません。ジャズの巨匠は決してテクニシャンばかりではありません。むしろ「上手くないけどいい演奏」こそが究極のジャズだと思います。そう考えるとビリーの歌いかたは、とても個性的で聴き手を引き込みます。彼女は物まねではなく本能で歌う人です。一番の特徴といえば、とにかくエモーショナル!なところでしょうか。
そもそも、ビリー・ホリデイとは誰か?彼女は偉大な黒人女性ジャズ・シンガーとして知られています。1915年にペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれました。ビリー・ホリデイは芸名で、本名はエレオノーラ・フェイガン。『奇妙な果実 ─ ビリー・ホリデイ自伝』には、15歳の父と13歳の母という「子どものような」二人が結婚し、自分はその間に生まれたと書いてあります。18歳の時にベニー・グッドマン楽団と録音、1935年頃にはニューヨークではジャズ・スターになっていました。が、その後は様々な不幸に見舞われて1959年に他界。享年、たったの44歳。本当に短い人生でしたが、大雑把に言うと「一番有名な女性ジャズ・シンガー」です。
ビリー・ホリデイの歌手として人生は半分以上がSP時代、まだアルバムではなく一曲単位の時代の歌手です。何枚かCDを持っていますが、その中で、彼女が録音したベスト・テイクはSP時代の1933〜44年だと思います。ビリーは1939年にニューヨークのジャズクラブ、カフェ・ソサエティでクラブのオーナーから紹介された「Strange Fruit」を初めて歌いました。この曲はルイス・アレンというユダヤ人の高校教師が作詞・作曲したものでした。日本語に訳すと「奇妙な果実」。これが彼女の代表曲です。歌詞は「南部の木々には奇妙な果実がぶら下がる」、つまり「リンチを受けた黒人の死体が木につるされている」と告発するショッキングな内容です。歌詞が過激なので、大手レコード会社のコロンビアにはレコーディングを拒否されました。そこで、彼女はコモドア・レコードという小さな会社で録音しました。でもSP盤として発売された「奇妙な果実」は、当時はまだ信じられない数字だった100万枚以上を売り上げました。のちにLP版として発売された『奇妙な果実』は、ジャケット写真がちょっと怖いです。よく見るとビリー・ホリデイは綺麗な人なのですが。でも、曲の内容を思えば、やはり怖い。そして、歌声が一番怖いです(汗)
『BILLIE ビリー』という映画を観ました。彼女は10歳の時に暴力的な性被害を受けた際、相手が白人だったので、被害者は彼女なのに、逆に売春容疑で逮捕されるという理不尽な経験をしています。生い立ちのせいで、ビリーは子供の頃から売春宿で働かされてきました。当時の大半の黒人女性シンガーたちも同じでしたが、結婚してからも彼女は結局、夫へ貢ぐために毎日働きます。歌うことが好きでたまらないのに、愛されかたを勘違いして生きていきます。現役の時代は、のべつ幕なしに煙草を吸って、酒をがぶ飲みし続けたみたいです。1947年、32歳の時に彼女は大麻所持で逮捕されて、女子刑務所で8ヶ月の間、服役しました。何人もの最悪のヒモ男たちと麻薬のせいで、自分の人生を真っ直ぐ進むことができませんでした。1959年5月にビリーはドラッグが原因で入院しますが、ベッド脇に置いたドラッグが看護師に見つかって、警察を呼ばれて逮捕されてしまいました。そして、1959年7月17日午前3時10分、入院中のニューヨーク市ハーレムのメトロポリタン病院で、逮捕されたまま、ビリーはこの世を去ってしまいました。死因は心不全でした。「なぜ優れたジャズ歌手は短命なのでしょう?」。映画の中で彼女はこう答えます。「1日で100日分生きたいの」
ビリーの歌を聴き込んでいくうちに、あれっ?と、昔どこかで聴いたような「デジャヴ」を感じました。古い記憶を辿ってみたら思い出したのが、子供の頃ブラウン管TVで観た美空ひばりの歌う姿でした。とはいっても、私は美空ひばりのファンではないし、CDを持っているわけでもありませんが。二人の歌いかたはちょっと似ていますが、言葉もメロディも違うので何ともいえません。歌声も少しは似てるかな。でも二人の共通点はそこだけではなく、国民的な歌姫であること、早過ぎる死と、あとは決して幸せなことばかりではなかった壮絶な人生でしょう。ほかにも調べてみると、美空ひばりは中学3年生の時には、もう「タンゴに二人を」と「スターダスト」という2曲のジャズ・スタンダードをSP盤で発売していました。そして美空ひばりには、日本語でジャズを歌うことへの強いこだわりがあったようです。彼女のアルバム『ナット・キング・コールをしのんで』のライナーノーツにはこう書いてあったそうです。「ジャズ歌手としての美空ひばりは、あまり知られていなかった。それは、彼女がジャズを日本語になおして歌ってきたからである。歌は、メロディとリズムだけではなく、解釈で歌うものだ。歌詩がチンプンカンプンで、心がこもるわけはない。彼女は頑固に、そう主張してきた」
やっぱりひばりもエモーショナルだった!
(令和6年4月号)